ノルウェーのフィンマルクの「フィン」はフィンランド人を指すの?

フィンマルクのフィンはフィンランドのフィン?_表紙 サーミ

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 前に、ノルウェーの地図を眺めていたときに、「フィンマルク(Finnmark)」という土地が目につきました。フィンマルク県1は、ノルウェー最北の行政区で、ロシア、フィンランドと国境を接するエリアです。

 当初は「この辺りにもフィンランド人が住んでいたのかな?」と思いました。ところが、調べてみると、この「フィン」はフィンランド人ではなく、サーミ人を指しているようなのです。

 本記事では、この地名に隠されたサーミの歴史と、北欧の言葉の変遷について解説します。

 

フィンマルクという地名の語源

フィンマルク県の位置(マップ)
フィンマルク県の位置(マップ)

 ノルウェー語の”Finnmarkフィンマルク“は”Finn-“と”-mark”の2つの言葉から構成されています。

Finn(フィン)

 現代では、フィンランド人を指しますが、古くはサーミ人を指す言葉でした。13世紀ノルウェーの、古ノルド語で書かれた伝記『ヘイムスクリングラ』では、サーミ人が「フィン人」という呼称で出てきます。

 このフィンマルクという地名は、その古い名称が残ったものです。

mark(マルク)

 「土地、原野」を指す言葉です。

 

結論:フィンマルクの意味

 ”Finnmark”(フィンマルク)とは、直訳すれば「サーミの土地」を意味する地名だということになります。

 フィンランドやスウェーデンで使用される「ラップランド」と意味としては同じです。

 これは、古くからこの土地一帯がサーミの伝統的な居住地であったことを意味します。

 

 

歴史背景:なぜ言葉が混同されたのか?

 古くはそもそも区別がされていなかったのだと思います。

 古代〜中世ヨーロッパにおいて、文化の中心地はギリシャやローマなどの環地中海地帯でした。そして、現存する文献の多くは地中海沿岸諸国のものです。

 そこから見た北欧ははるか遠くの未開の地だったのでしょう。明確な国境すらなかった時代にフィンランド人とサーミ人の違いがわかったとは思えません。

 

 下の表は、歴史上に現れるサーミ人とフィンランド人の呼称をまとめたものです。

サーミ人フィンランド人
紀元前4世紀ギリシャの地理学者ピュテアスが
「フィンニ(Phinnoi)」と呼称
6世紀東ローマ帝国プロコピオスが
「スキー・フィン(skrithiphinoi)」
12世紀頃「ラップ人」という呼称が
使われ始める
北の十字軍遠征
(スウェーデン領へ)
1229年ローマ教皇グレゴリウス9世
Finlandiaフィンランディアは保護下に入った」
1220〜1230年『ヘイムスクリングラ』で
「フィン人」と呼ばれる
1220〜1240年アイスランドの『エギルのサガ』で
フィンマルクとフィンランドが区別されている
1555年オラウス・マグヌスが
「ラップ人」と「フィン人」を明確に区別

 音に聞く「フィン人」とは、元々は、北の最果ての民くらいの意味合いだったのではないでしょうか?

 

 その区分の曖昧さが歴史資料にも表れています。

 サーミ人が「フィン人」ではなく、「ラップ人」と呼ばれ始めたのは、12世紀です。しかし、13世紀のノルウェーの『ヘイムスクリングラ』では、「フィン人」と呼ばれています。つまり、当時、「フィン人」という言葉は、漠然としていて、国際的に統一された意味を持っていなかったのではないかと思います。

 ただ、同じく13世紀に書かれたアイスランドの『エギルのサガ』では、フィンマルクとフィンランドが区別して書かれていることから、この時代に、領域としては分けられていたことがわかります。

 

 私が知る限り、現在の形に、ラップ人とフィン人が明確に分けられたのは、オラウス・マグヌスの『北方民族文化誌』(1555年)が最初です。

『CARTA MARINA』拡大図。Olaus Magnus 1539より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)
『CARTA MARINA』拡大図。Olaus Magnus 1539より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)

 しかし、オラウス・マグヌスも、その地図の中で「FINLANDIA フィンランド」と「LAPPIA ラップ(=サーミ)」と「SCRIFINNIA スキーフィン(=サーミ)」と「FINMARCHIA フィンマルク(=サーミ)」を分けて書いていることから、色々と混在が見られます。

 

 古地図を見比べる限り、これが「ラップ」2という表現に統一されるのは、1635年の地図です。

『SUECIA, DANIA, ET NORVEGIA, REGNA EUROPAE SEPTENTRIONALIA』Anders Bure 1635(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)
『SUECIA, DANIA, ET NORVEGIA, REGNA EUROPAE SEPTENTRIONALIA』Anders Bure 1635(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)

 

 ところが、1662年の地図では、フィンマルクが再び地名として現れています。おそらく、1635年の地図はスウェーデン側で書いたものですが、こちらはノルウェーで作られたものであるためだと思われます。

『Atlas Major』"LAPPONIA" Cornelis and Jean Blaeu 1662(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)
『Atlas Major』”LAPPONIA” Cornelis and Jean Blaeu 1662(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)

 ノルウェー側では、フィンマルクが地名として固定されていたのではないでしょうか。

 

 その後の古地図にもフィンマルクとして登場します。

『ACCURATISSIMA REGNORUM SUECIAE, DANIAE ET NORVEGIAE, TABULA』拡大図。Dutchman Justus Danckerts 1700より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)
『ACCURATISSIMA REGNORUM SUECIAE, DANIAE ET NORVEGIAE, TABULA』拡大図。Dutchman Justus Danckerts 1700より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)

 

 そして、現代においても、ノルウェーの公文書では”Finnmark”が正式名称です。これは、サーミ語でも”Finnmárku”として受け入れられています。

 つまり、「フィン」がサーミ人を指していた頃の名残が、現在まで残ったことになります。

 

※注意:現在では、「ラップ人」という呼称は、蔑称とみなされます。歴史的な文脈以外では、「サーミ人」と呼ぶのが一般的です。

 

現代のフィンマルクと多様な文化

第三の民族クヴェン人

 現在のフィンマルクは、サーミ人に限らず、多様な民族が共存する土地です。

 ノルウェー人とサーミ人だけではなく、クヴェン人という民族も暮らしています。

 

 このクヴェン人というのは、みなさんもご存知の民族です。

 何人のことを指すかわかりますか??

 

 

 答えは、フィンランド人です。

 「ええっ!?」って感じですよね。私も最初に知った時はびっくりしました!

 

クヴェン人との区別が示すもの

  ここにきて、フィンランド系の人々が「クヴェン人」という別の名前で現れました!

 「クヴェン」という単語は古ノルド語に由来し、フィンランド北部やスウェーデン北部を指す言葉です。そして、現在、ノルウェーに居住するクヴェン人のほとんどは、18〜19世紀のフィンランドからの移民です。

 この事実は、ノルウェーが、この地にいたサーミ人(フィン人)と、後から移住してきたフィンランド系住民(クヴェン人)を、伝統的に区別していた証拠とも考えられます。

 

現代のフィンマルク

 このように、現代のフィンマルクは、ノルウェー文化、サーミ文化、クヴェン文化(フィンランド系)が交差する土地です。その証拠に、フィンマルク県では、ノルウェー語、サーミ語、クヴェン語を公用語としています。

 

 フィンマルクが昔のフィン人(サーミ人)だけでなく、フィン系のクヴェン人の土地でもあると思うと、なんだか不思議な感じがします。

 こんな風に、一つの地名の中に、さまざまな歴史が含まれているのがわかると、面白いですね!

 

 

まとめ

フィンマルクの「フィン」について
  • ノルウェーの地名フィンマルクの「フィン」はサーミ人のこと。
  • フィンマルクは、「サーミの土地」という意味。
  • 呼称は「フィン人」と「クヴェン人」でも、サーミ人とフィンランド人は元々区別されていた可能性がある。

 サーミのことについて、調べていると、地名の中にも面白い情報が見つかります。フィンランドの地名やスウェーデンの地名にも、サーミの痕跡が残っていたりするので、みなさんも探してみてはいかがでしょうか??

 

 

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参考文献

  • Elenius, L. (2019). The dissolution of ancient Kvenland and the transformation of the Kvens as an ethnic group of people. On changing ethnic categorizations in communicative and collective memories. Acta Borealia36(2), 117-148.
  • “THE SÁMI PEOPLE TRADITIONS IN TRANSITION” Veli-Pekka Lehtola 2004 translated by Linna Weber Müller-Wille UNIVERSITY OF ALASKA PRESS
  • 水野知昭. (2000). 北欧教会建立伝説の成立背景. 人文科学論集』< 文化コミュニケーション学科編, (34), 89.
  • 『ラップ語入門』小泉保 著 1993 大学書林
  • 『ウラル語統語論』小泉保 著 1994 大学書林
  • 『ノルウェーのサーメ学校に見る先住民族の文化伝承 ハットフェルダル・サーメ学校のユニークな教育』長谷川紀子著 2019 新評論
  • 『物語 フィンランドの歴史』 石野裕子 2017 中公新書
  • Cambridge Dictionary “Mark” (https://dictionary.cambridge.org/dictionary/norwegian-english/mark)2025.10.15アクセス
  • “Old Maps of The Arctic Region” (https://lapinkavijat.rovaniemi.fi/vanhatkartat/eng/index.html)2025.10.16アクセス

 

脚注

  1. 旧フィンマルク県
    フィンマルク県は、2020年以降、隣のトロムス県と合併して、トロムス・オ・フィンマルク県の一部となりましたが、ここでは、便宜上フィンマルク県として扱います。 ↩︎
  2. ラップ人の曖昧さ
    『トゥオネラの花嫁』(ウネルマ・コンカ著 山口涼子訳)には、1785年にカレリアで学術探検を行ったデルジャーヴィンが「カレリア人とサーミ人の区別をしていない。ただ、住む場所によって、ラップランド人と呼んでいる」ことが山口涼子さんによって解説されています。つまり、18世紀になってすら、ロシアの地方長官レベルでは、ラップランドに住む人を大雑把に一緒くたにして「ラップ人」として扱っていたということです。同様に、この時代のラップランドという区画はかなり曖昧だった可能性も考えられます。 ↩︎

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