「ラップランド」ってどこ?地理的・民族的・文化的側面による3つの定義で解説

ラップランドってなに?地理的・民族的・文化的側面による3つの定義で解説_表紙 サーミ

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 ラップランドを知っていますか?

 ラップランドと聞くと、サンタクロースやオーロラ、フィンランド北部を思い浮かべる人もいるかもしれません。でも、その定義を正確に伝えられる人は少ないのではないでしょうか。

 それもそのはず。

 ラップランドは、国や文脈によって定義が異なるからです。つまり、複数の定義が存在していて、少し曖昧な部分があります。

 本記事では、ラップランドという言葉の定義について、3つの面から説明していきます。

ラップランドの3つの定義
  1. 地理・行政的定義:「ラップランド」という地名としての定義
  2. サーミ民族の定義:サーミ人の居住域(=Sápmiサプミ
  3. 歴史的定義:歴史的に変遷してきたラップランド領域

 

 

ラップランドの意味

 ラップ(Lapp、Lap、Lappi)とは、古い言葉で、サーミ人のことです。

 つまり、ラップランドは、サーミ人の土地を意味します。少し前までは、ラップ人と呼ばれていましたが、蔑称であることから、「ラップ」という言葉は使われなくなりました。しかし、地名としてのラップランドは残り、現在も使われています。

 

 

①地理・行政上のラップランド(最も狭い定義)

ラップランド(地理&行政区画)
ラップランド(地理&行政区画)

地理的ラップランド

 便宜的に、北緯66.6度以北(=北極圏)の北欧地域をラップランドと呼ぶことがあります。実際、ラップランドの大部分が北極圏内にあり、知らない人にも範囲が想像しやすいです。

 

行政区画上のラップランド

 フィンランドやスウェーデンには、行政区分としてのラップランド地方が存在します。

  1. フィンランドのラッピ県(Lapin maakunta):
    • フィンランドの最北端に位置する「県」(または地方)で、行政区分として使用されています。ラップランドといえば、フィンランド北部をイメージする人も多いかもしれません。
  2. スウェーデンのラップランド地方(Lappland):
    • スウェーデンの地方の一つ。その領域は、フィンランドのラッピ県と隣り合っています。
  3. ノルウェーの地域:
    • ノルウェーには「ラップランド」という行政区はありません。ただし、これから見ていく通り、フィンマルクなどの北極圏の地域は、ラップランドとして扱うことがあります
      • トロムス・オ・フィンマルク県(Troms og Finnmark)
      • (ヌールラン県(Nordland))

 フィンマルク県については、「フィンマルクの『フィン』はフィンランドの『フィン』??」という記事で詳しく説明しています。

 

②先住民族サーミの「サプミ(Sápmi)」(最も広い定義)

 サーミ人は、自身の土地のことをSápmiサプミと呼びます。

 これは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの4カ国にまたがる、文化圏としてのサーミ人の領域全体を指します。

Sápmiのマップ(サーミ人の居住域)
Sápmiのマップ(サーミ人の居住域)

 先ほども説明した通り、ラップランドには差別的な意味合いがあるため、サーミ文化やサーミの生活圏について話をするときは、「ラップランド」よりも「サプミ(Sápmi)」を使用した方が良識的です。

 

 

③文化・歴史上のラップランド

 サーミ人に対する名称として、「ラップ」という言葉が使われ始めたのは、12世紀です。

 当時は、ラップランドの明確な境界線はありませんでした。

 16世紀の地図を見てみましょう。

Bavarian Jacob Ziegler 1532(Miekkavaara 2008より引用)
Bavarian Jacob Ziegler 1532(Miekkavaara 2008より引用)

 1532年のかなり杜撰な地図の最北部に、”LAPONIA”という地名が書かれています。これが、ラップランドです。

 もう少し、綺麗な地図を見てみます。

『CARTA MARINA』Olaus Magnus 1539より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)
『CARTA MARINA』拡大図。Olaus Magnus 1539より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)

 こちらは、オラウス・マグヌスの『カルタ・マリナ』(1539年)です。海岸線はかなりガタガタですが、一応スカンディナヴィア半島が形を成しています。地図上の『LAPPIA OCCIDENTALIS(西ラップランド)』と『LAPPIA ORIENTALIS(東ラップランド)』がラップランドを指すと思われます。

 さらに、この地図では、その北に『FINMARCHIA』と『SCRIFINNIA』という地名があります。詳しくは、前の記事で説明していますが、これもサーミ人の土地と考えられます。このときは、サーミ人を表す表現が複数混在していたようです。『SCRIFINNIA』については、のちに、ラップランド(サーミ人の土地)として表記が統一されていきます。

 

 次は、17世紀末の地図を見てみましょう。

『ACCURATISSIMA REGNORUM SUECIAE, DANIAE ET NORVEGIAE, TABULA』拡大図。Dutchman Justus Danckerts 1700より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)
『ACCURATISSIMA REGNORUM SUECIAE, DANIAE ET NORVEGIAE, TABULA』拡大図。Dutchman Justus Danckerts 1700より(Obtained from Old Maps of The Arctic Region)

 1700年にオランダ人のDanchertsという人が描いたものです。この頃には、測量技術がかなり発展していたようで、この地図の北欧の形は、今のものとそっくりです。

 この地図は伊能忠敬の日本地図を思い起こさせます。伊能忠敬が蝦夷地測量を始めたのが、18世紀末なので、ヨーロッパで発展した測量技術が日本へ持ち込まれた歴史を感じます。

 さて、本題のラップランドですが、かなり現代のラップランドに近い形になっています。

 「FINMARCHIA(フィンマルク)」は地名として残ったようですが、他は、ラップランドに統一されています。

  • LAPPONES(コラ半島辺り)
  • KIMI LAPPOMARCK(フィンランドのラッピ県南部)
  • TORNE LAPPMARCK(スウェーデン最北部)
  • LULA LAPPMARCK(現在のルレ・サーミの居住域)
  • PITHA LAPPUMARCK(現在のピテ・サーミの居住域)
  • UMA LAPPUMARCK(現在のウメ・サーミの居住域)

(▶︎サーミのグループについては別記事で。)

 しかも、それぞれのエリアの境界もきっちり引かれています。

 

 18世紀の地図になると、さらに正確に境界線が引かれています。

『DET NORDLIGE NORGE』拡大図。 Christian Jochum Pontoppidan 1795より
『DET NORDLIGE NORGE』拡大図。 Christian Jochum Pontoppidan 1795より

 Pontoppdanさんの地図は、スウェーデンとノルウェーの間で、国境線を引くのに使われたこともあって、この地図も、ほぼほぼ現代地図のような美しさです。

 スウェーデンとノルウェーの間で、国境が確定されたのは、1751年のことです。ストレムスタード条約によって決められ、追加条項で、サーミ人は、国境を自由に行き来してもいいことになっていました。

 

 個人的に面白いのは、フィンランドのラップランドの玄関口とされるRovaniemiロヴァニエミSodankyläソダンキュラ(Sotan Kylä)も書かれていることです。そういえば、ソダンキュラには、1689年に建てられた木造教会がありました

 

 このように、国境線の整備が進む中で、次第にラップランドの範囲が外から決められていきました。つまり、どの時代で見るかによっても、ラップランドの範囲は異なるのです。

 

 

まとめ

ラップランドの3つの定義
  1. 地理・行政上の定義
    フィンランド北部のラッピ県やスウェーデンの行政区画、および北極圏以北。旅行ガイドで最もよく使われる観光エリアのこと。
  2. 文化・倫理上の定義
    サーミ人の居住域。4カ国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシア)にまたがる広大なエリア(=Sápmi
  3. 歴史上の定義
    古地図に記されたLAPONIASCRIFINNIAなど、外部の人間が時代と共に定めてきた境界線。

「ラップ」という言葉は、差別的意味合いを持つため、先住民族を指す際は「サーミ」、その土地を指す際は「サプミ」を使うようにしましょう。

 

 

 

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参考文献・サイト

  • “Old Maps of The Arctic Region” (https://lapinkavijat.rovaniemi.fi/vanhatkartat/eng/index.html)2025.10.16アクセス
  • Miekkavaara, L. (2008). Unknown Europe: The mapping of the Northern countries by Olaus Magnus in 1539. Belgeo. Revue belge de géographie, (3-4), 307-324.
  • “THE SÁMI PEOPLE TRADITIONS IN TRANSITION” Veli-Pekka Lehtola 2004 translated by Linna Weber Müller-Wille UNIVERSITY OF ALASKA PRESS

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