ラップランドを知っていますか?
ラップランドと聞くと、サンタクロースやオーロラ、フィンランド北部を思い浮かべる人もいるかもしれません。でも、その定義を正確に伝えられる人は少ないのではないでしょうか。
それもそのはず。
ラップランドは、国や文脈によって定義が異なるからです。つまり、複数の定義が存在していて、少し曖昧な部分があります。
本記事では、ラップランドという言葉の定義について、3つの面から説明していきます。
- 地理・行政的定義:「ラップランド」という地名としての定義
- サーミ民族の定義:サーミ人の居住域(=Sápmi)
- 歴史的定義:歴史的に変遷してきたラップランド領域
ラップランドの意味
ラップ(Lapp、Lap、Lappi)とは、古い言葉で、サーミ人のことです。
つまり、ラップランドは、サーミ人の土地を意味します。少し前までは、ラップ人と呼ばれていましたが、蔑称であることから、「ラップ」という言葉は使われなくなりました。しかし、地名としてのラップランドは残り、現在も使われています。
①地理・行政上のラップランド(最も狭い定義)

地理的ラップランド
便宜的に、北緯66.6度以北(=北極圏)の北欧地域をラップランドと呼ぶことがあります。実際、ラップランドの大部分が北極圏内にあり、知らない人にも範囲が想像しやすいです。
行政区画上のラップランド
フィンランドやスウェーデンには、行政区分としてのラップランド地方が存在します。
- フィンランドのラッピ県(Lapin maakunta):
- フィンランドの最北端に位置する「県」(または地方)で、行政区分として使用されています。ラップランドといえば、フィンランド北部をイメージする人も多いかもしれません。
- スウェーデンのラップランド地方(Lappland):
- スウェーデンの地方の一つ。その領域は、フィンランドのラッピ県と隣り合っています。
- ノルウェーの地域:
- ノルウェーには「ラップランド」という行政区はありません。ただし、これから見ていく通り、フィンマルクなどの北極圏の地域は、ラップランドとして扱うことがあります
- トロムス・オ・フィンマルク県(Troms og Finnmark)
- (ヌールラン県(Nordland))
- ノルウェーには「ラップランド」という行政区はありません。ただし、これから見ていく通り、フィンマルクなどの北極圏の地域は、ラップランドとして扱うことがあります
フィンマルク県については、「フィンマルクの『フィン』はフィンランドの『フィン』??」という記事で詳しく説明しています。
②先住民族サーミの「サプミ(Sápmi)」(最も広い定義)
サーミ人は、自身の土地のことをSápmiと呼びます。
これは、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアの4カ国にまたがる、文化圏としてのサーミ人の領域全体を指します。

先ほども説明した通り、ラップランドには差別的な意味合いがあるため、サーミ文化やサーミの生活圏について話をするときは、「ラップランド」よりも「サプミ(Sápmi)」を使用した方が良識的です。
③文化・歴史上のラップランド
サーミ人に対する名称として、「ラップ」という言葉が使われ始めたのは、12世紀です。
当時は、ラップランドの明確な境界線はありませんでした。
16世紀の地図を見てみましょう。

1532年のかなり杜撰な地図の最北部に、”LAPONIA”という地名が書かれています。これが、ラップランドです。
もう少し、綺麗な地図を見てみます。

こちらは、オラウス・マグヌスの『カルタ・マリナ』(1539年)です。海岸線はかなりガタガタですが、一応スカンディナヴィア半島が形を成しています。地図上の『LAPPIA OCCIDENTALIS(西ラップランド)』と『LAPPIA ORIENTALIS(東ラップランド)』がラップランドを指すと思われます。
さらに、この地図では、その北に『FINMARCHIA』と『SCRIFINNIA』という地名があります。詳しくは、前の記事で説明していますが、これもサーミ人の土地と考えられます。このときは、サーミ人を表す表現が複数混在していたようです。『SCRIFINNIA』については、のちに、ラップランド(サーミ人の土地)として表記が統一されていきます。
次は、17世紀末の地図を見てみましょう。

1700年にオランダ人のDanchertsという人が描いたものです。この頃には、測量技術がかなり発展していたようで、この地図の北欧の形は、今のものとそっくりです。
この地図は伊能忠敬の日本地図を思い起こさせます。伊能忠敬が蝦夷地測量を始めたのが、18世紀末なので、ヨーロッパで発展した測量技術が日本へ持ち込まれた歴史を感じます。
さて、本題のラップランドですが、かなり現代のラップランドに近い形になっています。
「FINMARCHIA(フィンマルク)」は地名として残ったようですが、他は、ラップランドに統一されています。
- LAPPONES(コラ半島辺り)
- KIMI LAPPOMARCK(フィンランドのラッピ県南部)
- TORNE LAPPMARCK(スウェーデン最北部)
- LULA LAPPMARCK(現在のルレ・サーミの居住域)
- PITHA LAPPUMARCK(現在のピテ・サーミの居住域)
- UMA LAPPUMARCK(現在のウメ・サーミの居住域)
(▶︎サーミのグループについては別記事で。)
しかも、それぞれのエリアの境界もきっちり引かれています。
18世紀の地図になると、さらに正確に境界線が引かれています。

Pontoppdanさんの地図は、スウェーデンとノルウェーの間で、国境線を引くのに使われたこともあって、この地図も、ほぼほぼ現代地図のような美しさです。
スウェーデンとノルウェーの間で、国境が確定されたのは、1751年のことです。ストレムスタード条約によって決められ、追加条項で、サーミ人は、国境を自由に行き来してもいいことになっていました。
個人的に面白いのは、フィンランドのラップランドの玄関口とされるRovaniemiやSodankylä(Sotan Kylä)も書かれていることです。そういえば、ソダンキュラには、1689年に建てられた木造教会がありました。
このように、国境線の整備が進む中で、次第にラップランドの範囲が外から決められていきました。つまり、どの時代で見るかによっても、ラップランドの範囲は異なるのです。
まとめ
- 地理・行政上の定義
フィンランド北部のラッピ県やスウェーデンの行政区画、および北極圏以北。旅行ガイドで最もよく使われる観光エリアのこと。 - 文化・倫理上の定義
サーミ人の居住域。4カ国(ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシア)にまたがる広大なエリア(=Sápmi) - 歴史上の定義
古地図に記されたLAPONIAやSCRIFINNIAなど、外部の人間が時代と共に定めてきた境界線。
「ラップ」という言葉は、差別的意味合いを持つため、先住民族を指す際は「サーミ」、その土地を指す際は「サプミ」を使うようにしましょう。
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参考文献・サイト
- “Old Maps of The Arctic Region” (https://lapinkavijat.rovaniemi.fi/vanhatkartat/eng/index.html)2025.10.16アクセス
- Miekkavaara, L. (2008). Unknown Europe: The mapping of the Northern countries by Olaus Magnus in 1539. Belgeo. Revue belge de géographie, (3-4), 307-324.
- “THE SÁMI PEOPLE TRADITIONS IN TRANSITION” Veli-Pekka Lehtola 2004 translated by Linna Weber Müller-Wille UNIVERSITY OF ALASKA PRESS




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