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10年ほど前、フィンランドに留学していたときに、ヴィーガン(Vegan)に会いました。
当時は、日本で「ヴィーガン」という言葉すら聞いたことがなく、「何それ?」という感じでした。
聞くと、ベジタリアンよりも厳しく動物食をしないベジタリアンをヴィーガンと呼ぶのだそう。私は、水野忠邦より田沼意次タイプの人間なので、「高尚だなあ」と思ったのですが、どうやら西洋では、かなり一般的に知られている概念であるそうです。
最近は『ダーウィン事変』という漫画などでも取り上げられていて、日本でも一般に知られてきたのではないでしょうか。
そんなヴィーガンの友人が、ご飯を残して捨てやがるので、思わず目をこすった私。「食べ物を大事にしなさい」と言われて育った私は、肉食禁止よりそっちの方が許せません。ぶつくさ言ってやろうと思って書いたのが、今回の記事です。
お付き合いいただける方のみ、お付き合いください。
ベジタリアンとヴィーガン
一応、ベジタリアンとヴィーガンの違いを、きちんと説明しておきましょう。
ベジタリアン(vegetarian)とは?
ざっくり言うと、穀物や野菜中心の食事をする人です。肉や魚はダメですが、牛乳やチーズなどは個人の判断に任されます。
肉・魚類など → ×
乳製品・卵など → ○
『完全菜食があなたと地球を救う ヴィーガン』という本によると、ベジタリアンは、
一八四七年、マンチェスター聖書教会員らによって初期キリスト教のシンプルライフへの憧憬から、「肉や魚は食べず、乳製品や卵の摂取は本人の選択に任せ、穀物、野菜、豆類の植物性食品を中心にした食生活を行う」運動が展開され、世界で初のベジタリアン市民団体すなわち英国ベジタリアン協会が発足したときにできた言葉です。
とあり、「心身共に健康で生き生きしている」というラテン語vegetusが由来の言葉だそうです。だから、ベジタリアンは「心身共に健康で生き生きしている人」を指すのだそう。野菜(vagetable)も同じ語源であることは……置いておきましょう。
ヴィーガン(Vegan)とは?
1944年に生まれた言葉で、完全菜食主義のこと。肉、魚、卵などすべての動物食品および蜂蜜を食べません。
「すべての動物の命を尊重し、犠牲を強いることなく生きるライフスタイル」の名称
『完全菜食があなたと地球を救う ヴィーガン』垣本充 KKロングセラーズ 2020
ヴィーガンの考え方の基本にあるのは、単なる「かわいそう」だけではなく、動物福祉や環境問題、産業構造への批判など、複数の理由が重なっている場合が多いようです。
戒律が厳しめですね。日本に来た外国人が、日本でヴィーガンを捨てざるを得なかったという話をよく聞きましたが、これだと確かに日本で暮らすのは厳しそうです。
ヴィーガンに関する3つの疑問
言葉の定義はわかったので、ヴィーガンの人と話すと、いくつか疑問が生まれてくると思うので、その回答を私なりに考えてみました。
疑問1:ヴィーガンは植物は殺していいの?
「植物だって、生き物なのに、動物だけ殺しちゃダメってどういうこと?」という疑問は、ヴィーガンの人に会うと一番に思う疑問です。
どうも、ヴィーガン側の答えとしては、「芝生の上に動物の死体が転がっていたら、死体はふまないけど、芝生は踏むだろう? 動物の方が植物より感情があり、痛みを感じるため、倫理的に問題がある」という考えを持っているようです。
私は、正直「なるほど〜」と思いました。
木の枝を間違って折ってしまったら、「ごめんね」とは思うので、感じ方は人次第ですが、結局ヴィーガンと私では、倫理的な線を引く場所が違うだけな風にも思えます。
反論1:動物の痛みに寄り添うというより、人間の感情優先
反論するとすれば、死体側に配慮しているというよりは、人間側の「かわいそう」という感情に配慮した考えだと思います。
反論2:植物も痛みを感じる?
植物が人間のいうところの痛みを感じるかはさておき、たとえば、動物や虫に体を傷つけられたときに、一種の防御反応を示すことはわかっています(▶︎うま味が痛みを伝えている!?-植物が傷つけられたことを感じ、全身へ伝える仕組みを解明)。
疑問2:日本人も昔はヴィーガンだった?
日本人も昔はヴィーガンだったらしいよ、という話をする人がいます。だから、日本人にはヴィーガンの心が元々あるのだ、とかなんとか。
反論:「日本人がヴィーガンだった」は言い過ぎ
675年、天武天皇は肉食禁止令を出しました。
これが、日本人が肉食をしなかった根拠になるという話もありますが、これは、牛・馬・犬・猿・鶏の肉食を禁止する法令です。これら以外の肉食は禁じていませんし、逆にいえば、これらの肉食は行われていたという根拠にもなります。
食べていないなら、禁止する理由がありません。
ちなみに、酒・肉食禁止の法令は複数回出されていることからも、根拠としては薄いです。詳しくは、note記事『日本の肉食:四本足はダメで二本足はOK?仏教と武士のジレンマ』で紹介しています。
ただ、仏教や神道の影響で、ヴィーガンのような食生活をする人もいた、とは言ってもいいでしょう。
疑問3:食事を残すのはOK?
私が会った西洋人ヴィーガンは全員、普通に食べ物を残していました。「おいしくない」とか「お腹いっぱい」とかいう理由で。
私としては、これが一番納得いかないです。
「選んだのも、皿に入れたのも、お前じゃん!」って思うのですが、悪びれた様子はありません(フィンランドの大学食堂は、自分で皿によそうのが一般的)。
反論:フードロスはヴィーガンが言う環境問題に含めなくていいの?
ヴィーガンは、環境問題とか動物の食糧搾取構造に対して抗議する人々のはず。それなのに、フードロスの原因そのものになっているっておかしくありませんか。食糧無駄にすればするほど、人間が自然壊して耕した土地を無駄に使っているってことになりますよね。
ただし、ヴィーガン側からすれば、「すでに提供された食事を無理に食べること」と「そもそも動物性食品を選ばないこと」は別の問題だ、という考え方もあるのかもしれません。
つまり、需要を生まないことが重要であり、目の前の一皿を食べきるかどうかは別問題、という考えです。
でもな、野菜を食べないのに取るっていうのも、無駄な需要を生んどるんやで。
日本人の倫理的には、肉食よりも、食べ物を自分の糧にしない方が気になります。
ヴィーガンを勝手に歴史を交えて考える
ヴィーガンが生まれる理由
動物を殺すのは倫理的に良くない。
この話、どこかで聞いたことあるぞ、と思っていたら、日本の肉食の歴史で読んだのでした。
平安時代。仏教の「不殺生」や神道の「穢れ」の影響で、貴族たちは時代が経るにつれて、段々と殺生を忌避するようになりました。ついには、自分たちの前で行なっていた解体まで、避けるようになります。下の身分の者に、殺生をさせるようになったのです。
そして、さらには、肉食そのものを忌避するようになります。
動物を殺すこと、肉の解体が身近で無くなって、人間の本質である『殺し』から目を逸らせるようになると、ヴィーガンが生まれるのかもしれない、と思ったりしました。
私が食べればオーケーだと思う理由
食べることで感謝を示すというのは、とても日本的考えのようです。
おそらく、その由来の一つとなっているのではないかと思うのが、諏訪大社の勘文。
諏訪神社といえば、狩猟と軍さ神であるお諏訪さんを祀る諏訪信仰で有名です。狩猟・肉食禁止が広まる日本で、生きるために肉食を許す免状を出したのが「諏訪の勘文」です。
「業尽有情 雖放不生 故宿人身 同証佛果」
『鹿食と諏訪大社』 ろくべん館だより Vol.36 2013
「一度とってしまったものは、放っておいても死んでしまう。なので、人間が食べてあげて、体の一部としてあげることで、一緒に成仏できる」という意味。
つまり、食べて自分の血肉とすることで、成仏させてあげる、という考えです。これが、食べて感謝するにもつながったのではないかと勝手に思ったりしています。
おわりに:ヴィーガンになる理由も人それぞれ
数年ぶりに会ったフィンランド人の友人がヴィーガンになっていました。
「なぜ?」と聞くと、こういう回答をもらいました。
「彼女がヴィーガンだから、一緒のものを食べているだけなんだけど。最近、ヴィーガンについて、すごいことに気が付いたんだ」
友人は、ヴィーガンバーガーにかぶりつきました。
「ヴィーガンのご飯の方が凝っていて美味しい」
「Oh!!」(*꒪꒫꒪)
たしかに、飯マズ国家群、北欧でヴィーガンは一番食にこだわっているかもしれん!!
海外で、ヴィーガンが多いのって、単に基本のご飯がまずいだけだったりして……。いや、そんなわけないか。
参考文献
- 『完全菜食があなたと地球を救う ヴィーガン』垣本充 KKロングセラーズ 2020
- 『今日からはじめる ビーガン生活』井上太一 亜紀書房 2023
- 『菜食への疑問に答える13章』シェリー・F・コープ著 井上太一訳 2017
- 『肉食の社会史』中澤克昭 山川出版社 2018
- 『鹿食と諏訪大社』 ろくべん館だより Vol.36 2013
- 『肉食行為の研究』野林厚志編 平凡社 2018
- 『中世に転生したら肉が食べられなくなる件』中澤 克昭 夢ナビ 2026.4.8アクセス



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