こんにちは。ズッキーです。
フェルメールが生まれ育った街、デルフト。
今回は、その聖地巡礼の一つ目のスポットになります。
『デルフトの眺望』が描かれた場所へ行く

フェルメールが描いた『デルフトの眺望』は、「オランダ絵画黄金時代の作品で、最も有名な都市風景画」とマウリッツハイス美術館が評しています。
風景画ということは、描いた場所があり、現在ではその位置が推定されています。
私がデルフトという地名を知ったのも、この絵が最初。フェルメール好きの妻を持つ私としては、外すことができないスポットです。
(▶︎関連記事|マウリッツハイス美術館でフェルメール作品『デルフトの眺望』『真珠の耳飾りの少女』『ディアナとニンフたち』を見た話)
『デルフトの眺望』のモデルとなった巡礼地への行き方

デルフトはこじんまりとした街で、目的のスポットは、デルフト駅からは徒歩7分ほどで着きます。
駅を出ると、すぐ駅の横にとても古い建物があって、かっこいいなと思って、写真をパシャリ。

帰ってから調べると、イタリア料理屋さんPavarottiでした。
ご飯屋かよっ!!

公園のように整備された、新興住宅地らしきところを通って、南東へ下りました。
まっすぐ進むと、目の前が開けて運河が合流する場所につくので、南側の岸にある看板を探しましょう。

『デルフトの眺望』のモデルとなった場所
天気は、生憎の曇天。
オランダは曇り空が多いとはいえ、絵のような青空が見えないのが少し悲しかったです。

『デルフトの眺望』を印刷したパネルが飾られているので、それと見比べながら見るのがいいと思います。
周りの景色はこんな感じ。


正直、きちんと予習しないでいったので、現地で何をみていいかわかりませんでした。
というわけで、私と同じ轍を踏まないように、見るポイントを調べてみました。
『デルフトの眺望』のモデル・スポットの楽しみ方
絵のモデルとなった場所を楽しむ方法は、たくさんあると思いますが、ここでは「ここがどういう場所だったのか?」「いつ描かれたのか?」「どういうところを見ればいいのか?」に注目して、想像を膨らまして楽しんでもらえたら、と思います。
本当に絵が描かれた場所なのか?
まずは、絵をよく見てみましょう。
目立つ建物が4つほどあります。

左から、旧教会、時計塔、新教会、ロッテルダム門です。このうち、時計塔とロッテルダム門は現在存在しません。
ですが、旧教会と新教会はあります。
現地で見えるのは、新教会の塔です。旧教会の塔は見えません。これだけだと、「本当に絵が描かれた場所なの?」と疑いたい気持ちも出てきますし、絵の面影がほとんどなくて、ちょっぴり寂しい気持ちになる方もいるかもしれません。

そこで、今度は地図を見てみます。
モデルとなった場所からみて、旧教会と新教会の位置関係は絵とばっちり合致します。

地図も見ると、「確かにそうだったのかもしれない」という気持ちになるかもしれませんが、さらにもう一押し。
1649年のデルフトの古地図を見てみましょう。
1649年はフェルメールが生きた時代(1632-1675年)と合致しますから、この地図は、フェルメールが暮らしていたときのデルフトの姿を写した地図と言ってもいいでしょう。

方角は少しずれていますが、見ている場所は、現在と同じ。運河が三角形に切り取られた場所が地図の右端にあります。
地図中に船がたくさん停留している様子が描かれているように、ここはスヒーダム港とよばれる港でした(スヒー川のダムという意味だと思う)。
フェルメールの絵に描かれた船の描写とも一致しますね。
デルフトといえば、16世紀後半から中国・日本磁器を真似して「デルフト焼」を確立した都市です。現在のデルフトを歩いていても、こじんまりした田舎町に思えますが、17世紀当時は東インド会社の支社が置かれた貿易拠点の一つでありました。
(▶︎関連記事|デルフト焼はなぜ青い? ヨーロッパがアジアを真似して生まれた陶器)
デルフトはロッテルダム近くを流れるマース川という大きな河川を通じて、世界規模の貿易を行っていたわけです。

なので、このスヒーダム港という場所は、デルフトという町の顔と言ってもいい場所だったのではないかと思います。
そう考えると、フェルメールがここを描いたのも納得できるのではないでしょうか?
いつ描かれた絵なのか?
「いつ描かれたのか?」は、絵の様式(描き方)で1658〜1660年頃と推定されています。
この年代を裏付けているのが、描かれた新教会の塔です。

新教会の塔には、1660年9月以降に2年かけて、鐘(カリヨン)が取り付けられました。
ところが、フェルメールが描いた新教会の塔の上部の隙間から、向こう側の空が覗いています。つまり、この絵は1660年9月以前に描かれたことになります。
ちなみに、新教会の鐘(カリヨン)は、交換などはされているものの、現在も使われています(古い鐘も展示されています)。下からでも鐘が入っているのは見えるので、フェルメールがこれを描き忘れることはないでしょう。

さらに、年代だけでなく、描かれた時刻についてもわかっています。
絵に時計塔が描かれているのを覚えているでしょうか。

よく見ると、時計の針まで描かれています。2時35分頃にも見えますが、朝の7時10分を指しているそうです。この時刻、実際に港に差す太陽の光は、ちょうど絵の中の光の方角と一致するようです。
つまり、現地に行くなら、午前中。
できれば7時頃がおすすめです。
実際の景色と違うところはあるの?
フェルメールといえば、絵をただ写実的に描くのではなく、自分が見せたい構図に合わせて修正していくことで有名です。
この絵でも、自分の理想に近づけて、風景画を描いたと言われています。
左右の建物間の距離も変えたり、船体を伸ばしたりしているそうですが、それは現在の景色と見比べてもわかりません。
ただ、影の長さについては、現在でも見比べることができます。

フェルメールの絵の中では、建物の影は対岸まで伸びています。
でも、これは朝のこの時間帯では、ありえないそうなんです。実際見てみると、私たちが行った11時でこの影の伸びです。

たしかに、太陽がもっと低い7時ごろであれば……??
あれ?
太陽が低い方が影が伸びるんじゃないの?
本当に影長すぎなの!?
わ、わからなくなってきた!!
というわけで、だれか、朝7時頃、晴れているときにいってみて、結果を教えてください!!
『デルフトの眺望』の時代の雰囲気をもっと感じるには?
旧教会の塔の形、よく見ると、結構特徴的です。

港からは見えなかったですが、近くで見ると、この絵と見比べられるはずです。

少し近づいて見てみましょう。
……い、一緒やわ!!
オランダ東インド会社デルフト支社
ちなみに、小林頼子さんの『フェルメール 謎めいた生涯と全作品』によると、この絵の旧教会手前あたりに、描かれた屋根の一部は、オランダ東インド会社のものであるそう。

『デルフトの眺望』のスヒーダム港あたりから、旧教会に向かって歩くと、運河沿いに、趣のある古い建物が並んでいます。

その中に、階段型の破風(=建物正面の壁のこと)がある建物があります。

まあ、見る人が見れば、階段破風を見れば「17世紀初頭にオランダで最も一般的だった様式だな」とわかるし、「1654年のデルフトの火薬庫爆発前の建物だな!」というのもわかるのかもしれないですが、私たちにそこまでわかるはずもなく。
たまたま建物に刻まれた看板やマークを見て、気がつきました。
”Oost-Indiëplaat 1-104″と書かれた標識。

看板には、「1631年にオランダ東インド会社デルフト支社の建物になったこと」と「20世紀後半に大学の工学部のアパートになったこと」が説明されています。
建物の一部には、オランダ東インド会社の “VOC” の紋章とその “V” の谷間にデルフトの “D” の文字。その下に、”AN°1631″と刻まれています。

1631年からここにあるということは、フェルメールが『デルフトの眺望』を描いたときにも、まさにこの場所に存在したということです。
そう言われてみると、建物の色や破風の雰囲気がフェルメールの絵の中の建物と似ている印象を受けます。
すごい! 素晴らしい!
こういうことの積み重ねで、フェルメールが生きた時代の空気をちょびっと感じる。
それが、聖地巡礼の醍醐味かな、と感じました。
(妻曰く、「『うわ〜、フェルメールの町だ〜! うわ〜!うれしい〜!』くらいしか考えていないよ」とのことです。わはははは、話盛ったぜ笑)
まとめ
- デルフト駅から徒歩約7分
- 絵が描かれた朝7時10分頃の訪問がおすすめ!
- 現地のパネルと実際の景色を見比べてみよう!
- 旧教会周辺には、フェルメールの時代から残る建物やVOCの痕跡あり
- 現地ならではのフェルメールが生活していたデルフトが感じられるかも?
訪問した時より、ブログ書いている今の方が、聖地巡礼を楽しんでいるかも。知らんけど。
皆さんはぜひ現地で楽しんでください!
それでは〜!
参考文献
- 『フェルメール –– 謎めいた生涯と全作品』小林頼子 角川文庫 2008
- 『フェルメールへの招待』朝日新聞出版 2012
- 『アムステルダム物語 杭の上の街』ヘルマン・ヤンセ著 堀川幹夫訳 2002
- 『Mauritshuis 日本語』Quentin Buvelotほか著 Epic Runia編(マウリッツハイス美術館公式ガイドブック)



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