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こんにちは。ズッキーです。
オランダといえば、フェルメールやレンブラントといった画家が有名です。この画家たちの絵画が発展したのは、オランダの黄金時代と呼ばれる16世紀末〜17世紀。最盛期には、鎖国下の日本とも貿易し、スペインやイギリスとも張り合うくらい、海運・貿易で大きな勢力を持っていました。
一方で、地図をみると、オランダはとても小さな国に見えます。その国土面積は約4.2万km2ほどで、九州とほぼ同じ。
言い方は悪いですが、地図でみても、とりわけ目立つ国ではありません。
では、日本の約9分の1ほどの、これほど小さな国が、どうやってこれほど大きな勢力になることができたのでしょうか。そして、それはなぜ16〜17世紀だったのでしょうか。
疑問に思ったので、調べてみました。
オランダの黄金時代とは?
16世紀末〜17世紀(前半)は、オランダの黄金時代といわれます。
かつてオランダが最も栄えた時期です。それを象徴するものがいくつかあります。
黄金時代の象徴①:チューリップ・バブル

黄金時代を象徴する出来事の一つがチューリップ・バブル。
チューリップといえば、中央アジアが原産とされる花ですが、16世紀後半にトルコからオランダに持ち込まれます。今ではオランダの花みたいな顔をしていますが、元々は珍しいから持て囃されたわけです。

そして、鑑賞用を越えて、投機対象になります。1636〜37年のピーク時には、アムステルダムの高級住宅よりも高い値がついたという話があります。
「家より高い球根ってなんだよっ!」( `・д・)っ))
と思いますが、当時のオランダ人にはそれだけの資金力があったという裏返しでもあります。
だって、ただの花ですよ。
でも、黄金時代を象徴する出来事として、私がチューリップ・バブルより推したいのは、絵画です。
黄金時代の象徴②:巨大な絵画市場

この時代を代表する画家といえば、フェルメールが有名です。
彼が描いたのは、当時の市民生活を題材とした風俗画です。
貴族の肖像でもキリストでもなく、庶民です。
もちろん、貴族や富裕層も絵を買っていましたが、庶民も絵の購入者でした。
たとえば、小林頼子の『フェルメール論』の中では、イギリス人作家のジョン・イーヴリンが1641年に書いたロッテルダムの様子が紹介されています(多少強調して書いている可能性はあります)。
「ありふれた農夫がこうした絵で家をいっぱいにし、縁日の日などに売り払って大儲けする。こんなことがごく普通に見られるのだ」
庶民に資金があるから、嗜好品である芸術を購入できるわけです。富裕市民だけでなく、一般の農夫が絵で家を買っていたということは、それができるほど、オランダ経済は潤っていたという証左ではないでしょうか。
オランダ黄金時代の特異性
貴族や聖職者が特権を持っていたヨーロッパで、オランダは共和制を敷いていました。
まあ、それだけでも異常ですが、個人的にそれよりもすごいと思うのは、オランダが経済で世界の覇権を握ったことです。

よく引用されるのが、アメリカの社会学者ウォーラーステインの言葉です。
「資本主義的世界経済において覇権を握ったのはオランダ、イギリス、アメリカのみである」1
『一冊でわかるオランダ史』
強調しておきたいのは、軍事力ではなく経済力で当時の世界のトップを取ったということです。
大英帝国を築いたイギリスや、資本主義で今も覇権をとっているアメリカと肩を並べて紹介されている時点で、かなりすごいことだとわかります(あくまで国際的な経済活動で突出した影響力を持つという意味で)。
では、オランダはどうやって、世界の覇権を握ったのでしょうか。
オランダ東インド会社の台頭と商業・金融の発展
オランダが世界の覇権を握った直接の要因は、オランダ東インド会社(VOC)でしょう。
オランダ東インド会社は、それまでポルトガルが握っていた香辛料交易を奪い、独占することに成功しました。アジアから、砂糖、香辛料(特にクローブ&ナツメグ)、陶磁器、紅茶などを輸入して、ヨーロッパで高値で売ることで莫大な利益を出したオランダは、経済的に大きく発展しました。

加えて、当時、戦場となった商業都市アントワープから職人や商人が逃げてきたこと、宗教に寛容なオランダに、金融で財を成したユダヤ人が逃げてきたことで、オランダの商業や金融はさらに発展しました2。
ですが、オランダ東インド会社が、貿易を行うためには、元となる原資が大量に必要です。つまり、オランダには、それを支えるだけの財力がもともとあったということを意味します。
オランダの黄金期を支える財力を生み出したのは、次の3つだと私は思います。
- 交易中継地としての立地の良さ
- ニシン漁の優位性と加工技術
- 効率のよい造船技術
詳しく見ていきましょう。
オランダの経済力を支えた地理と技術
交易中継地としての立地の良さ
私が思うに、ある土地が発展する上で、最も重要なのは、立地です。
海洋交易
オランダの海洋的立地に注目しましょう。
皆さんも世界のリアルタイム船舶位置情報はよく見ると思います。
……あれっ、見ない??
えっと、私が変態なだけ!?
……おほん。
とにかく、船がよく通るルートというのは、概ね決まっています。

大雑把な図ですが、イメージわかりますか?
ドイツ、フランス、イギリス、そしてバルト海の入り口(スウェーデンとデンマークの間)を結ぶ四角形のちょうど真ん中あたり。北海の中央付近に最も近い陸地がオランダです。
オランダの位置って、船が通るルート上にあって、めちゃくちゃ大事な場所だと思いませんか?
実際、北海・バルト海交易の要衝として栄えました。
河川を利用した水運
海洋貿易に加えて、オランダは河川を利用した陸からの水運もあります。
というのも、オランダは、ライン川・マース川・スヘルデ川という3つの巨大河川の河口に位置しているからです。

自然と、これらの河川を利用した水運も発達しました。たとえば、オランダの船に使われた木材の一部は、ライン川を通って運ばれていました。
つまり、オランダが発展した大きな理由の一つは、海洋・河川を含めた複数のヨーロッパの交易網が結集する場所であったためです。
ニシン漁の加工技術と優位性
次がニシンの話。

どうやら、調べていると、このニシンが意外と重要そうなのです。
『魚ではじまる世界史』という本には、次のように書かれています。
スペインの支配下にあったオランダがその軛から脱し、スペインに代わって海洋覇権にいたる道程の、そもそもの出発点がニシンだった
『魚ではじまる世界史』より
大袈裟にも思えますが、この本によると、18世紀に農業革命が起きるまでは、ヨーロッパでは、肉より魚の消費が多かったと言えるそう。
理由はキリスト教の断食の日に魚を食べることが推奨されていたから。
つまり、魚の需要が高かったということ。
そして、オランダが飛躍をはじめるのは14世紀。この時代は、オランダでニシンの塩漬け技術が大幅に改善された時期と重なるそうです(ニシンは同じニシン目のイワシと同じく、足が早いので、加工できないと簡単に腐る)。

1416年には、ニシン漁用にバスという漁船の建造が始まります。この船、船上で塩漬け加工ができるように、広い甲板を持ち、安定的な平底を持つように改良されていました。獲りたて新鮮なうちに加工してしまうわけです。

また、ニシン漁の規模に関しては、次のような記述があります。
一六六九年、オランダには「三万人の漁師がおり、ニシン漁に付随する保存加工業や樽、網の製造業も含めれば、四十五万人の雇用があった。これは言い換えれば、オランダの人口のおよそ五分の一に当たる」とカティングは推測している
『魚ではじまる世界史』より
やべーっすわ。ニシン。
ニシンがオランダを牽引したことが伝わってきますね。
では、ニシンは、オランダ経済にどれだけ影響したのでしょうか??
オランダの中心地アムステルダムに関する次の記述を見てみましょう。
十四世紀にはハンザとの貿易で発展し、十五世紀にはオランダのニシン漁業の隆盛のおかげでフランス、フランドル、ブリテン島への塩漬けニシンの供給元としてハンザを圧倒し、十五世紀初めにはハンザのおひざ元であるドイツやバルト海沿岸の市場まで獲得していった
『魚ではじまる世界史』より
アムステルダムはもともと漁村だったそうなので、どちらかというと、ハンザの力を借りて発展して、ハンザを飛び越していったというイメージでしょうか。
ハンザといえば、中世ヨーロッパが誇る一大経済圏なので、その市場を奪ったような形になると、どれだけのお金が動くのでしょうか??
凄まじいです。
そういえば、オランダ名物ハーリング(塩漬けニシン)、私も食べました。呑気に食べていましたが、まさかこんな背景があるとは!!

ニシンの塩漬け方法を確立し、ニシンで成功してきたから、今も生活の一部にあるのですね。
効率のよい造船技術
最後はお船。
オランダは船の経済圏。そして、時は大航海時代。
船の技術がものを言わないわけがありません。
製材用風車の発明
17世紀のオランダは、おそらく世界一の造船能力を持っていました。
造船の効率化に活躍したものが、風車です。
風車といえば、オランダの干拓の象徴というイメージがあります。
15世紀以降、製粉用に使われていた風車を排水用に改良したことは有名だと思います。

ただ、風車の進化はそれだけではありません。
16世紀に、別の画期的な利用法が生み出されます。1594年、コルネリス・コルネリスゾーン(Cornelis Corneliszoon van Uitgeest)が発明した、風車を動力とした製材技術です。
この風車が化け物レベルの活躍をします。
たとえば、Dalyさんらの論文には「人力だと切り出すのに120日かかる角材を4〜5日で加工できた」と紹介されており、『一冊でわかるオランダ史』にも、「風車1基で25人分もの仕事を担った」と書かれています。
この製材技術を用いて、船が作るとどうなるでしょうか。
参考文献によると、
オランダ船の製造コストはイギリスよりも40〜50%ほど低かったそう
『一冊でわかるオランダ史』
なので、マジもんの化け物でした。
船分野における国際競争力が半端なく向上したことは間違い無いです。
造船技術
こうした新しい技術も使いつつ、船が作られます。
資源獲得のためにも、交易のためにも、軍事力としても、他国より優れた船を生み出す技術も必要ですからよね(ニシン漁船バスもその一つ)。
もちろん、東アジアへの長距離航海にも、船の改良は不可欠です。
オランダ東インド会社の船は、木材を何層にも重ねるという、当時としては革新的な工法で、船体の強度を高めていました。

また、16世紀末には、ヨーロッパ域内の近海貿易に、フライト船(Fluyt)が開発されます。甲板が狭く、船倉が広いため、大量輸送が可能な上、高速。甲板の大きさで港や灯台の使用料が決まっていたこの時代、コストを抑えることができ、優位でした。17世紀のヨーロッパの船舶の6割がオランダ製だったとか。

すごすぎる。寡占状態やないか!
ちなみに、現代のフィンランド製造の砕氷船も世界の6割ほど3、豪華客船の設計の6割もフィンランドが占めます4。
それはさておき。
経済的な基盤があっても、政治的に自由でなければ、それを国家の力として使うことはできません。
オランダの主体性の獲得(スペインからの独立)
あまりイメージはないかもしれませんが、16世紀半ば、オランダはスペイン領(スペイン・ハプスブルク家)でした。
1556年にカール5世が王権を譲り渡すまでは、スペインはオランダに配慮してくれていたのですが、息子のフェリペ2世は、スペインを優遇して、オランダを軽んじました。
これがきっかけとなって、八十年戦争(1568〜1648年)と呼ばれる戦争が起きました。今のオランダにあたる場所で、1579年のユトレヒト同盟を基礎に、ネーデルラント連邦共和国(〜1795年)が緩やかに成立します5。
オランダ東インド会社のオランダは、このネーデルラント連邦共和国を指します。
ちなみに、この戦争を機に、北部のプロテスタント系諸州と南部のカトリック系諸州の分離が進み、後のオランダとベルギーにつながる地域的な分断が生まれました。
スペインによる最後のひと押し
イタリアが香辛料などを扱う地中海貿易で力を持ち、香辛料への欲求がスペインやポルトガルを大航海時代に向かわせたことは有名だと思います。
オランダがアジアを目指した理由も香辛料でした。
1580年、スペインがポルトガルを併合すると、オランダとポルトガルの貿易を禁止しました。オランダはポルトガルから香辛料を得ていたため、とても困ります。
そこで、出した結論が、オランダ自身でのアジア進出です。
つまり、皮肉にも、オランダが世界進出するための最後に背中を押したのが、敵国スペインになったわけです。
こうして、最初にアジアのインドネシアに到達したのが、1595年。

こうして、アジアの香辛料を手に入れられるようになったのはよかったのですが、オランダ国内の多数の貿易会社が競合した結果、商品の価格が下落するようになります。そこで、オランダ国内で一つの会社をつくることになります。
1602年、オランダ東インド会社(VOC:Verenigde Oost-Indische Compagnie)の設立です。これがオランダ黄金期の形成につながるわけです。これによって、それまでに積み上げてきた経済力が一気に世界規模に広がったのです。

オランダ黄金時代の終わり
では、なぜこの繁栄は永遠に続かなかったのでしょう。
それは度重なる戦争のせいです。海運・貿易で急速に勢力を拡大したオランダは、周辺の大国と利害が衝突するようになります。
スペインとの八十年戦争は、1609年から12年間休戦していただけで、1621年に再開。1648年まで続きます。
また、東インド(アジア)や西インド(アメリカ大陸)の利権をめぐって、イギリスと対立します。1672年の第三次英蘭戦争時には、フランスとイギリスの両方から侵攻され、一時、オランダの大部分を占領されるなど、大惨事になりました。第三次だけにᐠ( ᐛ )ᐟ
これだけ戦争が続けば、疲弊もします。17世紀後半には、景気が後退し始めたとか。
黄金期は終わり、しばらく低迷した時代を迎えます。
まとめ
- オランダは、ヨーロッパの交易路が集まる立地
- ニシン漁や加工技術で、14〜15世紀から経済力を蓄積
- 風車や造船技術によって、安く大量に船を造れるように!
- スペインから独立し、自分たちで政治的に決定できるようになった
- スペインによる香辛料の差し止めが東インド会社のアジア貿易を後押し
オランダが16〜17世紀に黄金期を迎えた理由は他のサイトでも紹介されていると思いますが、オランダ絵画が16〜17世紀に集中しているのが面白くて、自分なりに調べました。
意外と、他とは違う内容になったのではないかと思います。
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それでは〜。
参考文献
- Koetsier, T. (2025). Windmills in The Netherlands. Advances in Historical Studies, 14(1), 16-35.
- Daly, A., Domínguez-Delmás, M., & van Duivenvoorde, W. (2021). Batavia shipwreck timbers reveal a key to Dutch success in 17th-century world trade. Plos one, 16(10), e0259391.
- 『一冊でわかるオランダ史』水島治郎 監修 河出書房新社 2023
- 『魚で始まる世界史 ニシンとタラとヨーロッパ』越智智之 著 平凡社 2014
脚注
- ウォーラーステインの言葉
孫引き引用で申し訳ないですが、『魚で始まる世界史』によると、
ウォーラーステインは『近代世界システムII』のなかで、
(中略)
「資本主義的「世界経済」の歴史をつうじてヘゲモニー国家となったのは、オランダ、イギリス、アメリカ合衆国の三か国しかない」と説明している
とあります。
「ヘゲモニー」というのは、農業や工業で生産効率で優位に立つと、商業で他国を優越でき、その結果、流通を握り、金融も支配できるようになる状態のことです。
オランダが17世紀にこれを成し遂げているの、すごくね?? ↩︎ - アムステルダム証券取引所の成立
1602年には、オランダ東インド会社の株式を取り扱う、アムステルダム証券取引所が設立されます。Finance Watchによると、ここでは、のちに銀行株や債券など様々な金融商品も取り扱うようになるのですが、当初はVOCの株式だけでした。 ↩︎ - フィンランドの砕氷船の世界シェア
Finnish companies have designed about 80 percent of the world’s icebreakers, and about 60 percent of them have been built by Finnish shipyards.
「フィンランドの会社は、世界の砕氷船の80%を設計し、60%はフィンランドの造船所で製造されている」
FINNISH_SOLUTIONS_FOR_THE_ENTIRE_ICEBREAKER_VALUE_CHAINより ↩︎ - フィンランドの豪華客船の世界シェア
60% of all the world’s largest luxury cruise ships are designed in Finland and one third were built by Finnish shipyards.
「世界の豪華客船の60%がフィンランドで設計され、3分の1がフィンランドの造船所で製造されている」
FINNISH SOLUTIONS FOR SMART SHIPSより ↩︎ - オランダの独立承認
八十年戦争および三十年戦争後の1648年、ミュンスター条約およびウェストファリア条約によって、オランダの独立が承認されます。 ↩︎




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