オタク度★★★★★
こんにちは。ズッキーです。
台湾の道教②ということで、①の続きです。
この記事では、「台湾の道教」という題名をつけていますが、台湾の信仰の実態は道教と呼べるものではなく、「道教的」民間信仰だという考えもあります[1]。
「え!! 道教じゃないの!?」
という衝撃と共にスタートです。
▶︎台湾道教①|移民の歴史と台湾の宗教概要(前の記事)
主要な神様
台湾道教における主要な神様は、劉(1994)がまとめた表を見るのがわかりやすいと思います[1]。この本では、寺廟に奉祀されている主神について、1918、1930、1934、1960、1983年の計5年分の順位(10位まで)と寺廟数がまとめられていますが、ここでは最初の1918年と最後の1983年を参考に示しました。
1918年統計
| 順位 | 神仏名称 | 寺廟数 |
|---|---|---|
| 1 | 福徳正神 | 669 |
| 2 | 瘟神(王爺) | 453 |
| 3 | 天上聖母 | 320 |
| 4 | 観音仏祖 | 304 |
| 5 | 玄天上帝 | 172 |
| 6 | 有応公 | 143 |
| 7 | 関聖帝君 | 132 |
| 8 | 三山国王 | 119 |
| 9 | 保正大帝 | 109 |
| 10 | 三官大帝 | 72 |
1983年統計
| 順位 | 神仏名称 | 寺廟数 |
|---|---|---|
| 1 | 瘟神(王爺) | 874 |
| 2 | 観音仏祖 | 595 |
| 3 | 釈迦仏 | 516 |
| 4 | 天上聖母 | 515 |
| 5 | 福徳正神 | 422 |
| 6 | 玄天上帝 | 413 |
| 7 | 関聖帝君 | 366 |
| 8 | 保正大帝 | 165 |
| 9 | 三山国王 | 135 |
| 10 | 中壇元帥 | 120 |
この1918年と1983年の表を比較した限りでは、順位や寺廟の数にいくつかの変化が見られます。寺廟の数は全体的に増えて、順位も戦前と戦後という時代の変化を反映して大きく交代したように見えます。
ところが、劉さんはこれを官庁の登記の限界だと主張し、調査方法の問題だとしています。官庁の調査では、小さな祠などを数に入れきれないのだという考えです。そこで、劉さんは本人の感度と5年間の平均値を使って、肌感で順位づけを行なっています。それが次の表になります[1]。説明は私が勝手に加えました。
劉さん肌感順位
| 順位 | 神仏名称 | 説明 |
|---|---|---|
| 1 | 福徳正神 | 土地公という名前で親しまれる[1], [2]。 集落の守護、五穀豊穣、家内安全、旅行安全、商売繁盛などを司る[1], [2]。 開拓の進展につれて、各地で祀られた[1]。 神格は低く、元々は大木や巨石を神に見立てて祀っていた[1], [2]。 人間の形に似た石や石に土地公と書かれただけのものもある[1], [2]。 現在では好々爺の像として描かれる[1], [2]。 |
| 2 | 有応公 | 弔う子孫のいない霊(=無縁仏)を祀ったものの一つ[2], [3]。 開拓時代には、祟りが頻発したため、無縁仏を祀る小祠が多く作られた[2]。 有応公とは、「有求必応(いかなる願いもかなえる)」が由来[2], [3]。 ちなみに、動物の死体も有応公として祀られることがある[3]。 漁村では、豊漁や不漁を左右する存在とも考えられている[3]。 |
| 3 | 瘟神(王爺) | 瘟神は疫病を流行らせる神様のこと[1], [4]。 台湾ローカルの王爺が代表的[1], [4]。起源は不明[2] 王爺は瘟神が転じて、疫病を人々に代わって受け持つ神様になった1[1], [4]。 地上にきた王爺を歓待し、船で送り出すお祭り(王醮)が有名[1], [4]。 一柱の神ではなく、たくさんの神様が合わさった神[1]。 神燈で船を導くという権能もある[1]。 |
| 4 | 観音仏祖2 | 観音さま。 順位からもわかるように、台湾では、お釈迦さまよりも信仰されている。 考えれば日本でも、お釈迦さまそのものの信仰はあまり聞かないような。 民間での信仰が特に厚い神様で、関聖帝君とともに人気が高い[1], [2]。 |
| 5 | 天上聖母 | 媽祖という名で親しまれている航海の女神さま[1], [2], [4]。 実在の人物とされ、出生の瞬間から伝説が絶えない巫女[2], [4]。 福建省出身の神様で、11世紀ごろから周辺の漁民の信仰を集めた[2], [4]。 宋から名前を与えられ、12〜13世紀ごろには全国に信仰が広がる[2], [4]。 航海の女神だが、戦闘、飢饉、水害、病気など、その霊験は超あらたか[4]。 |
| 6 | 釈迦仏 | お釈迦さんのこと。日本統治下で推進された神様[1], [2]。 生まれた時に「天上天下唯我独尊」と言ったとかなんとか。 その意味は「俺が世界で一番尊い」です。 赤ん坊なんて、自分を一番尊く扱って欲しくて泣くのだから、 あながち嘘の話でもないのかもしれない。 私も赤ん坊の時は「私尊い。かまって」と思いながら泣いていたかも。 なんか、そんな気がしてきました。ブッダと一緒ですね。 |
| 7 | 玄天上帝 | 北極星の神格化、あるいは玄武の化身とされる神様[1], [4]。 道教の最高神、元始天尊の化身ともされることもある[2]。 北宋や明などで、歴代皇帝の守護神とされた[4]。 玄武としては、北方鎮守の神であり、水神[4]。 星の神様としては、航海の神など[1]。 |
| 8 | 関聖帝君 | 関羽が神様になったもの。義にあつい。 民衆には親しみやすい存在で信仰が厚い[1], [2]. [4]。 武神であり、財神[1], [2]。元々金回りには疎いはずだが、財神[4]。 関羽が算盤を作ったとされているが、本当だろうか?[2] 勉学の神でもある[5]。ほぼ何でもあり。 |
| 9 | 保正大帝 | 元は福建のお医者さん[1], [2], [4]。 唐代の名医だった説と、宋代の后妃の難病を治した説がある[2]。 |
| 10 | 三山国王 | 広東潮州掲陽県の三山の神の総称。 独山(中央、厳粛)、明山(右、憤怒)、巾山(左、黒面凶悪)。 元々は広東の客家移民の郷土神。 今では地方出身の台湾人にも信仰されているようです[1]。 |
| 11 | 中壇元帥 | インドの神様が中国で神様になったもの[1], [4]。 哪吒太子とも呼ばれる[1], [4]。毘沙門天の息子[4]。 西遊記や封神演義に出てくることから人気があると思われる[4]。 |
| 12 | 三官大帝 | 天・地・水を司る三人の神様[1], [4]。 天官大帝は招福の神様、地官大帝は赦免の神様、 水官大帝は解厄の神様[1],[4]。お中元の由来[4]。 |
私には何が正しいのやらわからなかったので、3つの表を比較のために載せてみました。ここで間違いなく言えることは、この右の表に並ぶ12の神様が台湾を代表する神様であることです。なぜなら、この表に載っている神様たちのほとんどが開拓の時代から人々が頼りにした神様だと考えられるからです[1], [5]。もちろん、他にも台湾でよく祀られている神様はたくさんいると思いますが、例をあげるとキリがないので、それはまた別の機会にしましょう。
台湾の道教:移民の歴史と神々の信仰
台湾の道教は、移民の歴史と深く結びついています。台湾への移住は、様々な困難を伴いました[1]。人々は、その困難を乗り越えるために、神々に祈りを捧げ、信仰を深めていきました。以下は劉(1994)をまとめたものです。
1. 航海の安全を祈る神々
台湾への渡航は、命がけの航海でした。人々は、航海の安全を祈り、媽祖や水仙、玄天上帝などの神々を信仰しました。
- 媽祖:航海の守護神
- 水仙:航海の安全を守る神
- 玄天上帝:北極星を神格化した神
2. 風土病から人々を守る神々
台湾は、高温多湿の亜熱帯気候です。未開拓の台湾は、風土病の温床でした。人々は、疫病から身を守るため、王爺や保生大帝、神農大帝などの神々を信仰しました。
- 王爺:疫病を流行らせる神、疫病から人々を守る神
- 保生大帝:医薬の神
- 神農大帝:薬草の神
3. 先住民との闘争と守護神
台湾に移住した人々は、先住民との間で土地をめぐる争いを繰り広げました。人々は、戦いの守護神として、福徳正神や媽祖、観音仏祖、有応公、王爺、三官大帝などを信仰しました。
- 福徳正神:土地の守護神
- 媽祖:航海の守護神、戦いの守護神
- 観音仏祖:慈悲の女神
- 有応公:無縁仏、戦いの守護神
- 王爺:疫病を流行らせる神、戦いの守護神
- 三官大帝:天・地・水の神
4. 開拓を助ける神々
台湾の開拓は、先住民から土地を奪い、農地を広げるという側面がありました。人々は、開拓の神として、開閩聖王や開漳聖王、開台聖王などを信仰しました。
- 開閩聖王:福建の開拓神
- 開漳聖王:福建の開拓神
- 開台聖王:台湾の開拓神(鄭成功のこと)
5. 豊穣と安全を祈る神々
農業が盛んな台湾では、豊穣と安全を祈る神々が信仰されました。特に、土地の神である福徳正神は、人々の生活に深く根付いています。
- 福徳正神:土地の神、豊穣と安全の神
6. 移民同士の闘争と郷土神
台湾に移住した人々は、出身地ごとに集団を作り、対立・抗争を繰り返しました。これを分類械闘あるいは械闘と呼びます[1], [2]。人々は、郷土の神々を信仰し、心のよりどころとしました。
- 広沢尊王:泉州人の守護神
- 保生大帝:泉州人の守護神
- 清水祖師:泉州人の守護神
- 開漳聖王:漳州人の守護神
- 定光古仏:汀州人の守護神
- 臨水夫人:福州府人の守護神
- 三山国王:客家人(主に恵州、潮州、嘉応州)の守護神
- 義民爺:客家人(主に恵州、潮州、嘉応州)の守護神
- 韓文公:潮州人の守護神


7. 祟り神と無縁仏
台湾の開拓時代には、多くの人が亡くなりました。弔う人がいない無縁仏は、祟り神となり、人々に恐れられました。人々は、有応公などの神々を祀り、無縁仏を鎮めました3。
- 有応公:無縁仏、祟り神
8. 人々の悩みや苦しみに寄り添う神々
社会が発展すると、人々は様々な悩みや苦しみを抱えるようになりました。人々は、天上聖母や臨水夫人、観音仏祖などの神々に祈り、心の平安を求めました。
- 天上聖母:母の慈愛を示す神
- 臨水夫人:女性を守る神
- 観音仏祖:慈悲の女神
台湾の道教は、移民の歴史と人々の生活に深く根付いた信仰です。神々は、人々の願いや祈りに寄り添い、心の支えとなってきました。
台湾の道教の宗教従事者
台湾の道教には、主に3つの役割を担う人々がいます[1], [2], [5]。
| 道士 | 役割 | 道教の儀式を執り行う儀式の専門家。 |
| 特徴 | お祭りや祈祷など、重要な宗教儀式を執り行う。 生活の為、法師の仕事も兼ねている人が多い。 | |
| 法師 | 役割 | 病気の治療や祈祷など、人々の生活をサポート |
| 特徴 | 病気の治癒、お祓いを行う。 道士よりも身近な存在で、人々の生活に密着。 | |
| 霊媒 | 役割 | 神様や霊と人々との間を取り持つ。 |
| 特徴 | 神様や霊の言葉を人々に伝える。 人々の悩みを霊的に解決する |
台湾の道教では、道士が法師の仕事を兼ねていることが多く、人々の生活に寄り添う形で信仰が受け継がれています。
台湾の道教における霊媒とは?
霊媒とは、神様や霊の言葉を人々に伝える役割を担う人々のこと(シャーマンの一種)です。台湾では、主に童乩・尫姨・扶鸞という3種類の霊媒がいます[1], [2], [5]。これが台湾における民間信仰の主な担い手とされています[1]。今でも、これらのシャーマンは現役です。
| 童乩 | 降ろす神 | ・中壇元帥 ・王爺 ・玄天上帝 ・関聖帝君 ・済公活佛 |
| 特徴 | 神様が乗り移り、神託を伝える男性の霊媒。 神聖な儀式において重要な役割を担う。 トランス状態になり、自分の体を傷つけるなどの行為を行う。 | |
| 尫姨 | 降ろす神 | |
| 特徴 | 亡くなった人の霊を呼び出し、言葉を伝える女性の霊媒。 日本のイタコに近い存在。 | |
| 扶鸞 | 降ろす神 | ・関聖帝君 ・呂洞賓 ・済公活佛 ・文昌帝君 |
| 特徴 | 神様が筆や手に憑いて、文字を書いて神託を伝える。 中国版コックリさん |

これらの霊媒は、台湾の民間信仰において重要な役割を担っています。神様や霊とのコミュニケーションを通じて、人々の悩みや願いに応え、心の支えとなっています。この他に「通霊」というトランス状態に入らない霊媒師(霊と話す人)もいたりするのですが、ここでは脇に置いておきます。
そういえば、漢字の元になった甲骨文字も占術の類いですし、元々、中国においては、文字と神の乩示の相性が良いのではないかという気もします。
霊媒は人々の相談窓口??
童乩・尫姨・扶鸞といった霊媒の中で、実際に童乩がどのような相談を受けているのかについて、五十嵐(2006)がまとめています[2]。

これによると、童乩への相談は健康に関するもの(精神的カウンセリングなど)と事業・商売を含めた開運に関するものが多いことがわかります[2]。つまり、童乩は人々の日常生活に深く関わる存在であることが伝わるのではないかと思います。ちなみに、張(1987)の方は、中壇元帥の童乩です[2]。
台湾道教は道教と呼べない??
宗教従事者について、ここまで見てきた中で、台湾の道教が意外と民俗的形態を残している宗教だということが感じられると思います。
劉氏(1994)は、
既成宗教としては、まず中国に発生した、漢民族固有の宗教と目される道教が挙げられるけれども、ここ(著者注:台湾)ではついに修行の場としての道観の形成を見るに至らず、道士の実態は巫覡に異ならず、いわば道教そのものよりは、「道教的」存在でしかない。
『台湾の道教と民間信仰』劉枝萬 1994 風響社より
と述べています。
文中の巫覡とは、霊媒を指すので、道士がシャーマンに近い仕事をしていることを指しています。これが冒頭で触れた「台湾の信仰の実態は道教と呼べるものではなく、道教的民間信仰だ」という考えもあるという話につながっています。
正直、このあたりの感度は人によって違うのではないかと思います。日本の神道も経典などがない上、かなりシャーマンに近い部分があったりもしますが、宗教として成り立っていると私は思うので、台湾の道教が大陸のものとは異なっていても「道教」と呼んで良いのではないかと思います。皆さんはここまで読んできて台湾の道教に対してどういうイメージを持ったでしょうか?
道教の教派

道教には、大きく分けて二つの主要なグループがあります[1], [5], [6], [7]。一つは「天師道」、もう一つは「全真教」です。さらに、天師道は「正一教」と「茅山派」に分かれるという考え方もあり、全部で三つのグループに分けられることもあります。
ここで、中国の地図を見てみましょう。道教のグループがどこで生まれたのかが分かると、理解が深まると思います。簡単にいうと、天師道は中国の南方で、全真教は北方で生まれました。
まずは天師道から説明します。天師道は2〜3世紀に成立した道教の教派で、張陵という人が2世紀ごろに四川省で創始した五斗米道を源流としていています[1], [5], [6], [7]。五斗米道は、張陵の孫の張魯の代には組織が大きくなり、一つの国として確立したそうですが、三国志で有名な曹操(155〜220)に破られてしまいました[5], [7]。その子孫が江西に移ってつくったのが、天師道です[5], [7]。この教派は元代に正一教と称するようになりました[5], [7]。もう一つ、3世紀頃、天師道の影響を受けて成立した現在まで残る教派が茅山派(上清派)です。正一教は妻帯できますが、茅山派はかなり厳格な宗派なので、奥さんを持つことができないそうです[6]。
一方の全真教は、宋代に道教を厚遇しすぎた結果、腐敗堕落した道教教団に対抗する形で金の時代(1115〜1234)に王重陽によって生まれました[1], [5], [7], [8]。禅宗の影響を受けて、呪術的な要素をなくし、内丹や自己の修行に重点を置いた宗派が民衆にも受け入れられて、元朝(1271〜1368)の信頼を得て発展しました[1], [5], [7], [8]。全真教を創始した王重陽は陜西出身で、山東で全真教を広めました[1], [5], [7]。
地図を見ると、天師道は中国の南方で成立し、全真教は中国の北方で成立したことがわかると思います。そのため、現在でも南方の主流は天師道で、北方の主流は全真教となっています。そして、台湾は中国の南方にあるので、台湾では天師道が中心だと考えられます。台湾に住んでいる人の多くは、福建省や広東省の出身なので、その点からも天師道が中心であることは納得できるかなと思います4[1]。実際、前回の記事で触れた本省人の移住時期の第一期〜第二期(明末清初の時期)には、正一教(天師道)の道士が台湾へ移住した記録があるようです[5]。また、戦後の大陸の政治的情勢の影響で、正一教の天師(一番偉い人)が台湾へ移住しました[5]。ただし、私が台湾で初めて訪問した台北の指南宮で、全真教の五祖という五人の道士が祀られていたように、全真教の信仰が全くないわけではないようです。
道教からの派生
ところで、現在の台湾の民間信仰は、清の時代の信仰の流れを汲んでいることが多いようです[3]。ここからは、道教から生まれた信仰や道教の一部を土台にした信仰を取り上げます。
道教系の信仰① 鸞堂
鸞堂は儒宗神教とも呼ばれ、「儒教を先頭に、道教・仏教・キリスト教・イスラム教を統合し、中国の伝統を引き継いだ宗教」です[2]。儒教なのか、何教なのかわからない信仰ですが、道徳的な教えの強い道教寄りの宗教だと考えてください[5]。台湾において、戦後の民間信仰の変化で特に際立っているのが、関聖帝君と玄天上帝を祀る寺廟の増加であるそうですが、その原因がこの鸞堂の信仰にあると考えられています[2]。
鸞堂(善堂、乩堂、仙堂ともいう)とは扶鸞(扶乩)を行う施設のことを指すと同時に、それを行う組織のことも指しています[2], [5]。上記の道教従事者の部分で説明した通り、扶鸞(扶乩)は中華版コックリさんです。鸞堂は善書(鸞書)5と呼ばれる宗教出版物を出版し、通俗道徳の流布と教義の布教を行います[2], [4]。
この鸞堂は、台湾では膨湖島で最初に作られました[5]。設立時期はさまざまな議論がありますが、福建省泉州から伝えられて、1853年に普勧社(現、一新社)という鸞堂を開設したのが最初であるという説が有力だとされているようです[5]。1888(1887?)年には台湾本島の宣蘭にも扶鸞が伝わりました[5]。現在の形式の扶鸞を行う鸞堂が確立したのは、1890年代以降と考えられています[2]。1890年代に扶鸞を通した戒烟(アヘンの禁煙)の処方(神の前で戒烟を誓わせて、神水を飲ませて、10日間アヘン中毒を耐えさせるという案外力技の処置)が広東省陸豊県から伝わり、それが台湾で広まるとともに、各地に鸞堂が建てられていったようです[5]。ちょうど1895年に台湾が日本統治下に入り、日本の台湾総督府がアヘン撲滅に腐心していた時期と重なっていたことも影響していたようです[2], [5]。
冒頭で、民間信仰で関聖帝君と玄天上帝を祀る寺廟が増加しているという話をしましたが、これは恩主公信仰が原因していると考えられます。
恩主や恩主公というのは、鸞堂が祀る神様です[2]。恩主公には、三聖恩主、四聖恩主、五聖恩主のパターンがあります。三聖恩主とは、関聖帝君、孚佑帝君、司命帝君の三神のことです[2], [5]。これに玄天上帝が加わると四聖恩主、さらに文昌帝君、豁落靈官(王天君)、地蔵王菩薩、保全大帝、岳武穆(岳飛)などのうちに一人が加わると、五聖恩主となります6[2], [5]。
この恩主公信仰の土台を作り、台湾各地に恩主公信仰が浸透していったのは、楊明機という人物の活動によるものだとされています[2]。上記のアヘン戒烟の流れに加え、日本への武力的抵抗から文化的抵抗に移行した台湾の知識層に、鸞堂の儒教的特色がうまく刺さったようです[2]。
今では、日本人がたくさん観光で行くことで有名な行天宮(台北市中山区)など有名な観光地として知られる寺廟も恩主公信仰を行っています。それほど、台湾では一般的なようです。他にも、私が観光で行った指南宮(台北指南宮公式HP)でも呂洞賓を呂恩主として祀っています[9]。指南宮が建てられたのは1890年と書かれているので、台湾で鸞堂が広まった時期とも一致しています。これらの寺廟が鸞堂なのかは素人の私には正直わかりませんが、行天宮の公式HPを見る限り、儒教系の道徳を説いていることから、その影響を大きく受けていることは間違いないと思います[10]。
道教系の信仰② 王母娘娘信仰
台湾における新興宗教団体「慈恵堂」は、王母娘娘を主神としています[2]。その起源は1949年、蘇列東という人物が、瑤池金母と呼ばれる女神の啓示を受け、人々の救済を始めたことに遡ります[2]。
慈恵堂は、当初、疾病や紛失物といった人々の悩みに対応する活動を展開していましたが、1950年に信徒間の対立により分裂しました[2]。その後、教団組織としての活動を継続したのが「慈恵堂」であり、より地域に根差した民間信仰の形態をとったのが「勝安宮」です[2]。
両団体は、同一の女神を信仰していますが、その呼称は異なり、慈恵堂では「瑤池金母」、勝安宮では「王母娘娘」と呼びます[2]。慈恵堂は、台湾東部の花蓮縣吉安郷「慈恵堂總堂」を総本山とし、多数の分堂を有しています[2]。
慈恵堂の特色として、詠唱、扶鸞に加え、瑤池金母の憑依状態における舞踊や身体運動、坐禅や呼吸法による修養が挙げられます[2]。この修養を通じた心身の鍛錬は、中国大陸に起源を持つ民衆教団の影響を受けていると考えられます[2]。また、組織内の重要事項が扶鸞によって決定されることから、儒宗神教の一つと捉えることもできると思います。王母娘娘は、中国道教において高位の女神である西王母の別称です[4]。台湾道教において、これまで主要な神格として位置づけられていなかった王母娘娘が、新たに信仰の対象となったことは、興味深い現象と言えるでしょう[1], [2]。
道教からの派生??① 一貫道
一貫道は、戦後中国共産党と敵対関係にあったことから、大陸から渡ってきた民衆教団です[2]。明代に羅祖という人物によって始められた羅祖教の流れを組む宗教で、1920年代に張天然という人物によって現在の形に整備されたと言われています[2]。扶鸞を行うという点は鸞堂にも似ているようにも思えますが、道教の神様とは別の「無生老母」という神様を信仰しており、儒教・仏教・道教だけでなく、キリスト教やイスラム教も統合しようとする「五教帰一思想」を唱えています[2]。終末思想に近い、「三期末劫思想」も教義にしているので、一神教の信仰も混ざっているように感じます[2]。
道教からの派生??② 先天救教(紅卍字会)
中華民国が大陸にいた頃に山東で扶乩を行う「乩壇」から派生した宗教。白眉佛、孚佑帝君、済公活佛などの神々を祀る宗教です。扶乩を行う部門、経典の編纂を行う部門、布教を行う部門など、組織的な活動をする民衆教団で、台湾での信者は、外省人の高齢者が多いようです[2]。
まとめ
ここまで台湾の道教について見てきました。
台湾の道教は、中国本土から伝わった道教を基盤としながらも、台湾独自の歴史や文化の中で発展してきた「道教的民間信仰」です。航海の安全や疫病からの守護など、人々の生活に密着した多様な神々が信仰され、道士、法師、霊媒といった多様な宗教従事者が活躍しています。特に、霊媒は神々や霊とのコミュニケーションを通じて、人々の悩みや願いに応える重要な役割を担っています。台湾の道教は、天師道の影響を強く受けながらも、鸞堂や王母娘娘信仰など、独自の発展を遂げており、台湾の人々の心の拠り所として、今もなお深く根付いています。
- 台湾の信仰は、中国本土の道教とは異なり、民俗的な要素が強く残る独自の形で進化
- 台湾では、福徳正神、媽祖、王爺など、多様な神々が人々の生活に密着して発展
- 台湾道教では、道士、法師、霊媒(童乩、尫姨、扶鸞)が人々の悩みや願いに応えて信仰されてきた
- 台湾の道教は、清の時代の信仰の流れを汲み、鸞堂や王母娘娘信仰など、独自の発展を遂げている
この記事では、台湾道教の一大イベントである、醮(神を祀るお祭り)や進香(各寺廟が祀る神様の総本山と考えられている場所に信徒が集団で神像と共に参拝し、総本山の神の霊力を分けてもらう行事)については触れませんでした。できれば、直接自分の目で見たいということもありますし、今回は台北の指南宮の信仰について調べたついでで、台湾の道教系の信仰に関する記事をまとめただけなので、私の思う記事の意図とは、ずれてしまうと感じるからです。
ここまで読んでいただき、ありがとうございます! それでは〜!
▶︎台湾道教①|移民の歴史と台湾の宗教概要(前の記事)
▶︎道教寺廟の参拝方法(関連記事)
▶︎道教の神様の紹介(関連記事)
▶︎初めて道教廟「指南宮」に行った話(関連記事)
参考文献
- 『台湾の道教と民間信仰』劉枝萬 1994 風響社
- 『現代台湾宗教の諸相 台湾漢族に関する文化人類学的研究』五十嵐真子著 2006 人文書院
- 『閩南系漢民族の漁民社会における「鬼」に関する予備的考察―「好兄弟」になる動物―』西村一之 2017 日本女子大学紀要 人間社会学部 第 28 号 Japan Women’s University Journal vol.28
- 『道教の神々と祭り』野口鐵郎・田中文雄編 2004 あじあブックス 大修館書店
- 『台湾の宗教と中国文化』酒井忠夫編 1992 風響社
- 『道教の神々』窪徳忠 1986 平河出版社
- 『道教の本 不老不死をめざす仙道呪術の世界』Books Esoterica 1993 学習研究社
- 『世界史B』尾形勇ほか 2006 東京書籍
- 指南宮公式HP(https://www.chih-nan-temple.org)2025.4.14アクセス
- 行天宮公式HP(https://www.ht.org.tw)2025.4.14アクセス
脚注
- 王爺の信仰
劉(1994)には、「疫病で死んだ怨霊を、瘟神すなわち疫病神として祀りこめ、王爺と尊称して、寛宥を願う」とあります[1]。「疫病から人々を守るために犠牲になった五人の進士が神になった」などの伝説もあり[5]、AIのGemini氏に聞くと現在では人々を疫病から守る神として祀られているようですが、元々疫病の神様を宥める意味合いが強かったのではないかと思います。王醮で、地上に巡察に来た王爺を迎えて歓待するというのは、その証左だと思います。ちなみに、瘟とは急性の伝染病のこと[5]。中国の道教の経典には、「人倫を失った世に罰を下すために、天が瘟神を送り、瘟疫を流行らせること」と、「天から下された災厄なので、まぬがれる術はないこと」が書かれているようです[5]が、民衆にはそんなことは関係ないので、神様を宥めて疫病から身を守ろうとしていて、人間らしくていいなと思います。 ↩︎ - 斎教という信仰[1], [2]
劉(1994)は、観音仏祖に関して、「在家仏教とみなされている斎教の興隆に伴い、深く民間信仰に根をおろしている」と述べています。「斎教ってなに?」と思ったので、これについてまとめます。「斎教」という言葉について、この本では用語としては説明していません。ですが、道教は道教的存在でしかないという流れで、斎教についてこう言及しています。
外来の仏教も夙に導入され、既成宗教として、若干教化の実績を挙げたが、道仏混肴の伝統は続き、ことにその亜流たる在家仏教の斎教は、道教ないし俗信を加味しており、仏教はともかく、斎教もやはり民間信仰の担い手である。
この文章から解釈すると、斎教は道教と仏教が混ぜ合わさったような台湾の民間信仰であることがわかります。
また、寺廟の数で、観音仏祖が釈迦仏よりも上位にきている(よく信仰されている)ことについて、
観音が常に釈迦を凌駕して、上位を占めている現象は、仏寺とか斎堂という看板にかかわりなく、斎教が仏教よりも民間に浸透して人気がある一証であり、いわば仏教は建前、斎教が本音なのであり、これは道教と法教の関係についても言えることである。
と書かれており、お釈迦様よりも観音様が信仰されているのは、この斎教によるものだと主張しています。また、「在家仏教とみなされている」や「仏寺とか斎堂という看板」という表現にも、仏教ではなく、仏教的宗教であるということが強調されているように思います。
面白いのは、
家宅の正庁(筆者註:家の広間)に奉祀される掛軸は、ふつう上段が観音、中断が関聖帝君と天上聖母、下段が司命竈君(竈神:家の神様)と福徳正神という図柄になっている一事からもわかるように、観音は別格扱いで、あらゆる神仏に勝って、観音信仰のベールをかぶさっているのである。すなわち観音信仰を前提としての民間信仰であり、庶民が仏教徒をもって自認する主因にもなっているのである。
とあるように、道教の神様の上に仏教の観音さまが祀られていることです。これは、観音様の道教的信仰を表していると考えられます。しかし、民間ではこれを仏教だと信じており、自身を仏教徒だと考えているけど、それは違うだろうと言っているのです。また、民間では仏教のお寺のことを今でも斎堂(1994年当時)と呼ぶそうです。ここに斎教の名前の由来がわかります。
また、五十嵐(2006)は、斎教について、清代乾隆年間に伝わった「居士仏教」(在家の民間仏教)の一つであると述べています。
齋教とは、明代の中ごろ、羅祖という人物によって始められた「無為教」あるいは「無生老母信仰」の影響を受けた仏教の一派であったとされる[鄭 一九九八a:二七ー二九]。齋教はこの系統の中でも取り分け仏教の要素が強く、一般に「在家仏教」と称される一派で、台湾では大きく「龍華」「先天」「金幢」と呼ばれる三つの派に分かれている。
本の中では、この中の龍華派に属する彰化朝天堂という教派について、紹介されています。朝天堂は自らを釈迦や観音を奉じる仏教の一派だとしていますが、その起源は「先天初祖」という人物であり、神農、黄帝、伏羲などの神々を経由してインドの釈迦へその教義が伝えられたと考えているようです。
実際、朝天堂に祀られているのは、観音菩薩を中心に、釈迦や龍華派の祖師、韋駄と関聖帝君などであると書かれているので、私の意見としては、とても道教に近い宗教であるように感じられます。
まとめると、斎教とは、「仏教の道教的民間信仰のこと」ではないかと思います。その名前の由来は仏寺のことを斎堂と呼ぶことから由来すると考えられます。 ↩︎ - 無縁仏と有応公について
有応公については、ブログ『徒歩進香 ハマるぞ台湾!道教文化』の「[道教寺院]陰廟とは?」が詳しいので、参考にどうぞ。 ↩︎ - 「全真教と正一教の勢力分布を台湾に当てはめていいのか?」問題[3]
正一教が中国南方で勢力を持ち、台湾では中国南方の移住者が主であるため、台湾は正一教が優勢であるという説明がなされることが多い。しかし、そもそも明の時代に道教が道教勢力が南北で二分されていたという前提が正しいのか、という議論を、石田憲司は行なっています。
根拠は以下のようです。
・明の時代、明の太祖、朱元璋は道録司といって、道教の道士に度牒という免許のようなものを発行して管理した(仏教は僧録司)。仏教では、免許を与えた仏教の系統ごとに僧服の色を変えさせて管理していたが、道教ではそれがない
・全真教の総本山、北京(白雲観)陥落に伴い、全真教の勢力はかなり衰退していた
・皇帝 朱元璋は、全真教=非世俗、正一教=世俗という区分で考えていただけであり、勢力的に考えて、全真教と正一教ははっきりと区別されていなかった
・現在の正一教は、正一教の権威づけを行なった結果生まれた、明の時代に勢力のあった複数の道教教団の集合体である
・現在の全真教は清の時代に再興し、教勢を盛り返したため、今の二分構造が生まれた
以上から、台湾に伝来した道教は正一教という名の多系統が混ざり合ったものではないかというのが、石田氏の主張だと私は解釈しました。私は正直、つまり台湾は正一教派閥ということでも間違っていないのでは?という気持ちになりましたが、もしかしたら単に私の解釈が間違っているのかもしれません。 ↩︎ - 善書と鸞書について[2]
善書のうち、文学的に書かれたものを鸞書と定義しています。 ↩︎ - 一新社(台湾最初の鸞堂)の恩主公について[3]
台湾で最初に鸞堂を開いたとされる一新社(普勧社)ですが、ちょっと変わった恩主公を祀っているようです。
正主席…南天恩主(文衡聖帝関宝像)
副主席…大医院恩主(慈済真君許宝像)
三教祖師牌位(儒道釈三教祖師)
正主席南天文衡聖帝関牌位
副主席大医慈済真君許牌位
南宮孚佑帝祖呂恩主牌位
九天司命真君張恩主牌位
とあるので、関聖帝君、慈済真君、孚佑帝君、司命真君というちょっと変わった組み合わせを祀っています。慈済真君は医薬の神とありますが、その詳細はわかりません。 ↩︎



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