こんにちは。ズッキーです。
フィンランドの田舎を旅していると、馬の牧場に出会ったり、「馬が通りますよ」という看板に出くわしたりと、馬が非常に身近な存在であることに気づきます。スーパーでも乗馬用品(靴や鞭など)が売られているほどです。
そこでフィンランドの乗馬事情を調べてみると、非常に面白い情報に行き当たりました。それは、乗馬人口における女性の割合の高さです。
フィンランド乗馬連盟(Suomen Ratsastajainliitto)によると、フィンランドでは、乗馬人口のうち、女性の割合は96%(2024年)に達し、世界的に見てもかなり高いそうです。
また、2025年現在、オリンピックでルールや基準に男女の区別がない競技は馬術だけです(1952年のヘルシンキ大会から)。
こうして見ると、乗馬は女性の進出が顕著な分野と言えますが、西洋史的には、女性が公の場で乗馬を楽しむことや、馬を扱うことに対して、かなり窮屈を強いられた歴史があります。
この記事では、ヨーロッパで女性の乗馬文化が、いかにして社会の制約から解き放たれてきたのかを、歴史上の人物に注目しながら探っていこうと思います。
つまり、完全に私の趣味です!
(話題はフェミニズム的なところがありますが、どちらかというとサイドサドルがどのように発展したかに対する好奇心で書いています)
女性とサイドサドル(Side Saddle)
サイドサドルとは?

サイドサドルとは、スカートを履いた女性が素肌を見せないように、公的な場面で横向きに座り始めたことでできた鞍です。
サイドサドルの歴史を軽く紹介
始まりは、1400年頃とされています。14世紀前半までは女性も馬に跨って乗っていました。
最初に、馬に横乗りで乗るようになったのは、15世紀後半と考えられています。ドレス(スカート)姿が馬に乗る時のフォーマルな服装だとされるようになったためです。
最初は、フォーマルな場面でのみ、横乗りで騎乗していたようですが、次第に私的な場面でもドレス姿が一般的になります。そうなると、鞍を改良する必要性が出てきます。跨らずに馬に乗ると、容易に落馬してしまうからです。
18世紀には、pommel(出っ張り)を2つつけた鞍が現れ、それを支えとして乗る騎乗方法が広まります。1830年ごろにこの出っ張り(leaping horn)が進化し、左足も支えられる構造になります。

そして、1920年代、徐々にこのタイプの鞍が使われなくなりました。
このように、女性の社会的規範の変化に合わせて、乗り方と鞍を改良していったようです。
興味深いのは、女性が横乗りする理由に後付けの理由(と思われる)が追加されていることです。
17世紀の乗馬師範Winter Von Adlersflügelによると、女性が馬に跨って乗ることは、「不妊の主な原因」と考えられていたようです。女性とて、危ない方法で騎乗を続けるには、それなりのもっともらしい理由が必要だったのではないかと私は思います。
横乗りすると、体の変なところが痛くなりそうだし、骨格のバランスも悪くなりそうです。

絵で見ると、とても優雅だと思うのですが、鐙を使わず、跨らず障害を飛ぶなど、私からしたら正気の沙汰ではありません。

1915年の写真で見ても、落ちそうじゃないですか?
マリー・アントワネット時代:窮屈な歴史

さて、マリー・アントワネット(1755〜1793)をご存知でしょうか。
フランス革命時のフランス王妃で、ルイ16世の奥さんにして、オーストリア・ハプスブルク家のマリア・テレジアの娘です。
「パンがなければケーキを食べればいいじゃない!」
と言ったとか、言わなかったとかで有名な人物です。
このマリーさん、乗馬界隈では、乗馬大好き娘として知られています。この時代、すでに乗馬の際は、スカートを履き、足を揃えてサイドサドルで馬に乗ることが一般的でした。マリーさんは、ズボン姿でも馬に乗っていました(いつもではないです)。義理の祖父のルイ15世や夫のルイ16世の遠出や狩りに付いていっていたようです。
これは、実用性もありました、当時としてはかなりスキャンダラスなことでした。
スカートを履いてサイドサドルなんかで馬に乗っていたら、楽しく乗れないと思うので、私は良いなと思います。でも、この時代の人からすれば、かなり常識から外れた行動です。マリーさんが、どういう風に見られていたのか、気になります。
鞍と乗馬服の発展
19世紀半ばには、サイドサドルに3つ目のpommelがつけられました。

これにより、横乗りが安定し、駈歩や障害飛越ができるようになります。
この頃、イギリスでは、上流階級以外にも乗馬が普及し、中流階級の女性たちの間で、乗馬が流行します。乗馬服姿を撮影する写真館や、リゾート地での乗馬が旅行の一部になりました。
同時に、乗馬服も発展します。要は、体が露出することを避けつつ、鞍の形に合わせた服が次々と考案されたということです。落馬の際にスカートがpommelに引っかからないようにセイフティスカートやエプロンスカートが作られました。
そして、1900年台。袴のように、二股に分かれたキュロットスカートが考案されます。これにより、馬に跨って乗ることが可能になりました。
イギリスで、乗馬にスカート姿が求められたのは、乗馬が心身の鍛錬や教養と解釈されていたためだと考えられています。そのため、服装を勝手に変えることは、「劣った趣味の人」と考えられました。
私なら、もっとラクに馬に乗りたいですが…。窮屈なエレガンスだなと感じます。
ココ・シャネルの時代:窮屈からの解放

『CHANEL』と言えば、フランスを代表するハイブランドです。創業者はココ・シャネル(ガブリエル・シャネル、1883〜1971)です。
一時期、ファッション史に興味を持った私は、『ココ・アヴァン・シャネル』という映画を見て、びっくりしました。シャネルは乗馬好きだったのです。
20代の頃、シャネルはバルサンというお金持ちの愛人になります。時は、1900年代初頭。まだ、乗馬にスカートが淑女の嗜みだった時代です。シャネルはズボン姿で”男性のように”馬に跨いで乗ります。
このときの体験が、シャネルのデザインに影響を与えたと言われています。
シャネルは、服装から女性の自由を提唱したデザイナーです。『Vogue』にはココ・シャネルの言葉が書かれています。
「男性の作る洋服は身動きがとりにくいものです」シャネルはそう断言している。「それはつまり、男性は、着心地を考えてデザインしていないということです」
『ヴォーグ・ファッション100年史』リンダ・ワトソン 2009 ブルース・インターアクションズ
シャネルがデザイナーとして店を出した1910〜1920年代は、第一次世界大戦の影響で、女性が仕事に駆り出された時代です。女性の社会進出とともに、女性の服に装飾性よりも実用性が求められるようになりました。
時代の要求と、シャネルの考えは、うまくマッチしました。
この動きは乗馬の世界にも現れます。女性性の強制は、実用性にとって替わられます。シャネルが女性の自由を打ち出したことと、窮屈な乗馬服から女性が解放されたことは無関係ではないでしょう。
ちなみに、2022年にはCHANELはランウェイに馬で参戦しています。
馬術競技で活躍する女性
現在では、女性はズボン姿で、男女の縛りなく、馬術競技で活躍しています。
馬乗りとしては、女性がサイドサドルから解放されて、私は本当に良かったなあと思います。

皆さんは、この横乗りの歴史をどう思いましたか? もし皆さんが当時の貴族だったら、それでも優雅さを取りますか?それともシャネルのようにズボンを履きますか?
周りに合わせてラクになることを選択せず、時代の強制に負けずに、自分のスタイルを通した女性たちは本当にすごいな〜と思います。
それでは〜。
参考文献・サイト
- Dr. Urlike Elisabeth Weiss & Claudia P. Pfeiffer “Sidesaddle1690-1935” National Sporting Library & Museum 2018
- Mead, T. H. (1887). Horsemanship for women. Harper & Bros..
- Aberdeen Archives, Gallery and Museums “Side Saddle Skirt and Breeches” 2025.12.17アクセス
- edwardianpromenade.com “Riding Side-Saddle” 2025.12.17アクセス
- Tatler “How the equestrian world inspired the designs of Coco Chanel“2025.12.17アクセス
- 『ヴォーグ・ファッション100年史』リンダ・ワトソン 2009 ブルース・インターアクションズ
- Wikipedia『ココ・シャネル』2025.12.17アクセス
- 『名画のプリンセス 拡大でみる60の衣生活事典』内村理奈著 2025 創元社
- 『メイド服とレインコート ブリティッシュ・ファッションの誕生』坂井妙子著 2019 勁草書房


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