こんにちは。ズッキーです。
カレリア地方は、スウェーデンとロシアの領有権が幾度となく争われ、国境線が変動した地域です。この地方は、フィンランドの歴史において極めて重要な地域ですが、領土の変遷に特化して解説したものは限られています。その中でも国境線の変遷を地図で見比べているものは、知る限りではありません。
そこで、この記事では、フィンランドのカレリア地方における、歴史的な国境線の変遷を調べ、現在の国境線が引かれた経緯について、解き明かしていきたいと思います。
「カレリア」という地域

カレリア地方は、フィンランド、ロシアの国境に跨る地域のことです。フィンランド人と近い民族であるカレリア人が住むエリアであることから、こう名付けられました。
カレリア地方は主に5つのエリアに分かれます。
- 北カレリア
- 南カレリア
- カレリア地峡
- ラドガ・カレリア
- 東カレリア
この中で、東カレリアは歴史的に見てもロシアの影響圏が強く、近代以降、ロシア(ソ連)の主権下から正式に離脱したことはありません(ただし、継続戦争中にはフィンランド軍が一時的に占領下に置いていました)。
逆に言えば、この東カレリア以外の地域が、「ロシア VS. スウェーデン」ないしは「ロシア VS. フィンランド」の間で、約700年間争われることになります。
古い出来事から順に追っていきましょう。
中世:カレリア最初の分断線(14世紀)
背景:スウェーデンの北方十字軍
12世紀〜13世紀、ヨーロッパ世界では、北方十字軍という非キリスト教徒征服活動が盛んになります。元々、十字軍は、聖地エルサレムを奪還することを目的にした一種の信仰回復運動でしたが、北方十字軍は、征服活動でした。
非キリスト教徒を改宗あるいは根絶することにより、「エルサレム奪回と同様の『罪の赦免』及び『魂の救済』がされる」と教皇が約束したことで、剣の矛先は、北欧や東欧地域に向けられました。
その一つが、カレリアであり、フィンランドです。
12〜13世紀にかけて、スウェーデンは、統一された国家の存在しなかったフィンランドに向けて3度の遠征をしました。ノヴゴロド公国(現在のロシアの前身的な勢力)も同時期に遠征しています。
この両国の間では、このスウェーデンの2度目の遠征以降、軍事的な衝突も起きました。舞台はカレリア地方。これが2国間で国境が引かれるきっかけになりました。

ノーテボリ条約(1323年)
1323年、スウェーデンとノヴゴロド公国の間で、ノーテボリ条約(露:オレシェク条約)が結ばれました。この条約により、南西カレリア、カレリア地峡、および現在のフィンランドの南東端が、スウェーデン領として確定しました。

また、この条約により、カレリアは初めて、スウェーデン側とロシア側の2つに分断されることになります。この後も2度ほど、スウェーデンとノヴゴロド間で軍事衝突がおきますが、国境の変更には至っていません。
近世:スウェーデンの支配とロシアの奪還(17〜18世紀)
16世紀〜17世紀はスウェーデンが躍進した時代です。
西欧諸国は15世紀以降、大航海時代に突入し、魅力的な交易品をアフリカ・アジアの諸国から輸入していました。バルト海の覇権は、バルト海沿岸諸国にとって、最重要事項の一つでした。
16世紀ごろ、この周辺地域で台頭してきた国の一つがロシア(モスクワ大公国、ロシア・ツァーリ国)です。ロシアは、内陸の国であったことから、バルト海沿岸の港を求めて、隣接する地域に攻め込みました。
スウェーデンは、東の強国ロシアに対して、複数の国と同盟を組むことで、対抗します。1558年に始まったリヴォニア戦争では、リヴォニア騎士団などと協力して、現在のエストニア・ラトヴィアへの侵略を阻止しました。
ストルボヴァ条約(1617年)
スウェーデン・ロシア間の国境が変わったのは、17世紀です。
1610年には、ロシアのツァーリ不在の混乱に乗じて、イングリア(カレリアの隣接地域)に派兵し、スウェーデン・ロシア戦争(〜1617)を起こします。

この結果、スウェーデンはストルボヴァ条約で、イングリアとカレリアの一部(北カレリア、ラドガ・カレリア、カレリア地峡の一部)を手に入れます。これにより、カレリアとフィンランドは同じスウェーデン支配下の地域となりました。
ニスタット条約(1721年)
しかし、17世紀末にスウェーデンのヴァーサ朝が断絶したこともあり、18世紀に入ると、徐々に以前の勢いを失います。
そして、1700年、大北方戦争が起きます。これは、バルト帝国を築いていたスウェーデンに対して、ロシアを始め、スウェーデン周辺諸国が引き起こした戦争です。20年続いたこの戦争で、スウェーデンはロシアに敗北。
1721年、ニスタット条約が結ばれます。

これにより、カレリアの一部、イングリアを含む複数の地域がロシアに割譲されました。
19世紀:フィンランド大公国と行政的統一
フィンランド大公国の成立
18世紀末〜19世紀、ヨーロッパではフランスのナポレオンが台頭します。
ナポレオンは、イギリス海軍に苦戦しており、ロシアに対して、トルコにおける領土要求で味方をすることを約束し、同盟を取り付けました。
そして、イギリスに対する包囲網を固めるために、スウェーデンに同盟に加わるように迫ります。当時、スウェーデンはイギリスに帆船製造に必要な木材やタールを輸出していました。しかし、スウェーデンはイギリスとの関係を切ることを拒否します。
ナポレオンはロシアにフィンランドを征服するように要求します。ロシアはフィンランドの貧しい土地を攻撃したくはなかったのですが、ナポレオンの圧力が強まったことから、1808年、ロシアがフィンランド戦争を起こします。
バルト海が凍結し、船でスウェーデンから援軍を送れなかったことや、スウェーデンはデンマークからの侵攻を恐れて、フィンランドにはわずかな軍隊しか派兵しなかったことなどが影響し、スウェーデンはこの戦争に敗北。
中でも北のジブラルタルと呼ばれたViapori(スオメンリンナ要塞)が陥落したことが大きかったようです。フィンランド軍の兵や物資が圧倒的に不足していたことから、戦争自体も消極的に進みました。
1809年に両国はフレデリクスハムンの和約を結びます。これにより、フィンランド全土がロシア帝国領になりました。

フィンランド攻撃当初、ロシア皇帝のアレクサンドル1世は、フィンランドをロシアに併合するつもりでした。
ところが、フィンランド戦争中に、ロシアとナポレオンとの関係が緊張状態になったため、フィンランドに自治権を与えることで、フィンランドに忠誠心を持たせようとする方針に変更されました。
フィンランド大公国(1809年〜)の誕生です。
旧領の再編入:行政区画としてのカレリア統一
1812年、ロシア統治下のフィンランドに、ヴァンハ・スオミ(旧フィンランド)が統合されました。このヴァンハ・スオミがヴィープリを含むカレリア地方です。これにより、南東と北西に2部されていたカレリア(東カレリアは除く)は再び行政的に統一されました。
さらに、1826年に、ラップランド北東部、1833年にラップランド東部などの地域が再編され、フィンランドに組み込まれます。
これらの領土編入により、独立時のフィンランド領の版図が形成されていきます。
ちなみに、この頃に、スウェーデン→ロシア領になったことで、行政の中心都市をトゥルク→ヘルシンキに移行させるのですが、カレリア地方の歴史には関係ないので、詳細は割愛します。
20世紀:最終的な分断と現在の国境線
フィンランド独立と第二次世界大戦前の領土
19世紀、世界的に流行したナショナリズム(民族思想)の高まりを受けて、フィンランドでも徐々に独立への志向が高まります。
そして、1917年、ロシア帝国の崩壊に伴って、フィンランドで独立が宣言されます。ソ連もこれを承認。1918年1月に他のヨーロッパ各国も続々と承認します。
こうして、フィンランドが独立した当時の国境線は、大公国時代の領土を引き継いだものでした。当然、カレリア地方(ヴァンハ・スオミなど)も、これに含まれました。
ところが、これがソ連にとって問題となります。フィンランドの国境が、ソ連の重要都市レニングラード(サンクトペテルブルク)に近すぎたのです。
最も近いところで、30〜40kmの距離しかありませんでした(東京から横浜くらいの距離)。
冬戦争とモスクワ講和条約(1940年):最大の領土喪失
1938年、「おい、カレリア地峡の土地をくれよ! あとハンコ岬も貸してくれ!」とスターリンが要求します。代わりに東カレリアの2倍の土地(RepolaとPolajärvi)をくれると言うのですが、カレリアはフィンランドにとっても戦略的要所です。カレリアがソ連領になると、逆に、フィンランドの喉元にソ連の牙を突きつけられた形になります。
また、ハンコ岬を貸与させるということは、フィンランドが掲げる中立を脅かすことになります。

フィンランドはちょっとだけ譲歩したのですが、交渉は決裂しました。
同様に軍事基地の譲渡を求められたバルト三国は、そのままソ連に飲み込まれました。それくらいソ連は貪欲な国でした。私は、フィンランドがこの時要求を飲まなかったのは、フィンランドの独立を保つ上で、一定の効果を発揮したのではないかと思っています。
(要求された以上の地域を失うことにはなりますが…)
1939年、スターリンは国境付近で、フィンランドがソ連に発砲したと言いがかりをつけ、戦争を始めます。これを冬戦争と言います。
この戦争で、フィンランドは善戦します。
シモ・ヘイヘ(Simo Häyhä)という射撃が上手なおっちゃんは、ソ連軍を一人で500人以上、射殺しました(スナイパーとして世界史上最多)。
フィンランドの抵抗が思いのほか強いので、ソ連は本腰を入れました。フィンランドは現在のフィンランドの国境付近まで前線を下げることになりました。西側諸国が援軍を送ろうとしたので、ソ連は和平を結ぶことにしました。

1940年、結ばれたモスクワ講和条約により、フィンランドはカレリア地方の大部分(カレリア地峡を含む)をソ連に割譲しました。これは、国土の約10%にも及ぶ土地で、フィンランドの歴史の中で、最大の領土変動でした。
パリ講和条約(1947年):国境の最終確定
第二次世界大戦当時、フィンランドは、ドイツの物資支援を受けていました。
代わりに、ソ連侵攻のために、フィンランドの通行を許可します。1941年、ドイツはソ連に空爆を開始します。ついでに、ドイツの最高指導者がラジオ演説で「フィンランドがドイツ戦線に加わってソ連を攻撃した」と余計なことを言います。
フィンランドは慌てて「やってないよ。私中立だから!」と宣言しますが、ソ連はフィンランドに報復爆撃を行います。
フィンランドは攻撃を受けたことで、ソ連に宣戦布告。
これにより、継続戦争が始まります。
フィンランドはまたも善戦しますが、侵略戦争には乗り気ではなかったことと、ソ連と同盟国であるイギリスやアメリカからの圧力を受け、戦線が消極的な状態で膠着します。そこをソ連に利用されます。
ドイツが敗れたことで、勝ちは不可能だと感じたフィンランドは、最終的に降伏します。
1944年モスクワ休戦協定をソ連と結び、ぺッツァモをソ連に割譲します。
(ペッツァモの変遷については、スコルト・サーミの居住地と歴史の記事で解説しています)

第二次世界大戦後の1947年、パリ講和条約により、前回のモスクワ講和条約およびモスクワ休戦協定で割譲した土地が、ソ連領で確定します。この条約によって引かれた線が、現在のフィンランドとロシアの国境線となっています。
まとめ
フィンランドは、大国に翻弄された国の一つです。
その中で、カレリア地方が長い変遷を辿ってきたことがわかっていただけたかなと思います。
わかりやすく全体をまとめるため、この記事の内容を表にしてまとめてみました。
| フィンランド | 南カレリア | カレリア 地峡 | 北カレリア | ラドガ カレリア | 東カレリア | ||||
| 1323 | スウェーデン | ロシア (ノヴゴロド) | |||||||
| ノーテボリ条約 | |||||||||
| 1617 | スウェーデン帝国 | ロシア ツァーリ | |||||||
| ストルボヴォ条約 | |||||||||
| 1721 | スウェーデン帝国 | ロシア ツァーリ | スウェーデン 帝国 | ロシア ツァーリ | |||||
| 二スタット条約 | |||||||||
| 1809 フレデリクスハムン条約 | フィンランド 大公国 | ロシア帝国 | フィンランド 大公国 | ロシア帝国 | |||||
| 1812 | フィンランド大公国(ロシア帝国) | ||||||||
| 古いフィンランド編入 | |||||||||
| 1917 フィンランド独立 | フィンランド | ロシア帝国 | |||||||
| 1940 モスクワ講和条約 | フィンランド | ソ連 | (仮) | フィンランド | ソ連 | ||||
| 1944 モスクワ休戦協定 (パリ講和条約で確定) | ソ連 | ||||||||
| 年代 | 条約 | 領土変動の要点 | 支配勢力 |
| 1323 | ノーテボリ条約 | カレリアの最初の東西分断。 | 🇸🇪vs.🇷🇺 |
| 1617 | ストルボヴァ条約 | スウェーデンによる一時的統一。 カレリア地峡をスウェーデンが獲得。 | 🇸🇪vs.🇷🇺 |
| 1721 | ニスタット条約 | ロシアの奪還。 旧フィンランド地域をロシアに割譲。 | 🇸🇪vs.🇷🇺 |
| 1809 | フレデリクスハムンの和約 | ロシア傘下で行政的統一。 フィンランド全土がロシア領に。 フィンランド大公国が成立。 | 🇸🇪vs.🇷🇺 |
| 1917 | フィンランド独立 | カレリア地峡などがフィンランド領に。 | 🇫🇮 |
| 1940 | モスクワ講和条約 | カレリア地峡などをソ連に割譲。 | 🇫🇮vs.🇷🇺 |
| 1947 | パリ講和条約 | カレリア地方の領土確定。 現在の版図に。 | 🇫🇮vs.🇷🇺 |
振り返ってみていただけると嬉しいです。
それでは〜!Moikka!
参考文献・サイト
- Laitila, Teuvo. “Popular Orthodoxy, Official Church and State in Finnish Border Karelia before World War II.” Folklore: Electronic Journal of Folklore 14 (2000): 49-74.
- 『世界の教科書シリーズ33 世界史のなかのフィンランドの歴史 フィンランド中学校近現代史教科書』 ハッリ・リンタ=アホ、マルヤーナ・ニエミ、パイヴィ・シルタラ=ケイナネン、オッリ・レヒトネン 著、百瀬 宏 監訳 2011 明石書店
- 2025.11.17アクセス
- Wells, C. (2016). Eating Karelia: The geography, history, and memory of Karelian pies. CARELiCA, 2016, 72-82.
- Lind, J. (2000). The Russian-Swedish border according to the Peace Treaty of Nöteborg (Orekhovets-Pähkinälinna) and the political status of the northern part of Fennoscandia. Mediaeval Scandinavia, 13, 100-117.



コメント